■原発事故で経済成長が高まる理由
昨日の朝日新聞の「記者有論」で松浦記者が、「内部被曝 自家栽培できる検査態勢を」と書いていました。
そこにこんな文章が書かれていました。
「事故前は1年中、ほとんど野菜を買う必要がなかった」と言う南相馬市の主婦(60)は「畑をやめて、野菜や果物を買っている。月に2万~3万円は負担が増えた」と話す。私のホームページ(CWSコモンズ)やこのブログでずっと書き続けていることですが、経済成長と生活の豊かさは決して比例関係にはありません。
成長がなければ大変だと多くの人は思っていますが、とんでもない間違いです。
以前、雇用が大切だという話が世間を覆ったこともあります。
その時にも、私は大切なのは雇用ではなく仕事だと書きましたが、それに対してはコメントでも個別のメールでも手ひどく批判され、それこそ「死ね!」とさえ言われました。
そういう手先を生み出している胴元にとっては(そしてそれに雇われている従僕たちにとっても)、経済成長がなければ困りますが、まじめに生活している人にとっては、経済成長など不要な話です。
そのことを、この松浦記者の文章は示してくれています。
松浦記者の文章をもう少し引用しましょう。
南相馬市で学習塾を経営する番場さち子さん(51)は「事故前は食べる野菜の半分くらいは親戚や友達からもらっていた」と話す。南相馬市の仮設住宅で中学1年の次男と暮らす星野良美さん(48)も「事故前、食べる野菜類の6割は近所の人たちが作ったものを分けてもらいました。春には山菜、秋には山のきのこももらっていました」。福島原発事故以来、そうしたことができなくなり、みんな野菜を買わなければいけなくなったのです。
そしてその分、「経済成長」は高まるわけです。
お金を介さずに野菜をやりとりしていたら、経済成長率にはまったく反映はされません。
シャドーワークという言葉もありますが、お金のやりとりがなければ「仕事」とは言わないといつの頃から「有識者」やジェンダー論者が言い出したのです。
男女共同参画社会などというバカなスローガンで活動している女性たちの罪は大きいと私には思っています。
いまさら原発反対などと言う資格など彼女たちにはないとさえ、私は思います。
あなたたちが子どもを裏切ってきたのだろうと強い怒りを感じます。
中途半端な「有識者」が、この社会を壊してきたし、壊しているのです。
それは、おそらく先日のブログで書いたように、「いじめ問題」にもいえます。いじめ問題を存続させているのは、そうした「識者」だと思います。
「識者」の会話の主語は、いつも「知識」で会って「自分」ではないのです。
そうした構図が相変わらずはびこっています。
松浦記者のコラムに書かれている、引用文の意味を私たちはしっかりと考えるべきです。
そして、東北復興のビジョンを構想すべきです。
「識者」や「専門家」たちの経済復興の話に惑わされなければいいのですが。
いま大切なのは、決して「経済成長」や「雇用の場」ではなく、安心して暮らせる生活の仕組みなのです。
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