■なぜ原子力規制委員会のメンバーは原子力発電に詳しくなければいけないのか
昨日、福島で行われた。エネルギー政策についての政府の意見聴取会での発言の多くに、生々しい体験を感じました。
現場にこそ真実があるというのが私の信条の一つですが、原発の意味を本当に知っているのは、こうした人たちだと改めて確信しました。
同じテレビで、原子力規制委員会の初代委員長候補になっている田中俊一さんが国会での初心聴取で発言していました。
何と内容のない発言であることか。
そのあまりの違いに、政治とはなんだろうかと考えてしまいました。
原発事故後、田中さんは現地での除染活動に取り組みだしました。
最初、私はとても共感しました。
しかし、その後の発言を聞いているうちに、この人はただ器用に社会の風潮に迎合しているだけではないかとさえ感じ出しました。
そうした利にさとい保身の輩は、原子力技術者だけではなく、経済学者にも経営学者にも、実に沢山います。
有力な政治家はほぼすべてそうかもしれません。
私が不思議なのは、規制委員会の委員長は、原発に詳しい人でないといけないという「常識」です。
多くの人が、そうした認識でこの委員長人事が語られています。
しかし、委員長も委員も、原発に詳しい必要は全くありません。
的確な質問と公正な判断力さえあればいいのです。
それが「規制」という意味のはずです。
「原子力」は高度な技術という思い込みのおかげで、みんな原発は特殊のものだと考えすぎているのです。
しかし、原発は極めて簡単な原理で動いている仕組みです。
原子力工学は高度でしょうが、原発は大きなやかんでしかありません。
しかし、もし仮に「原発に詳しい人」が適任であるとしても、田中さんは決して、原発に詳しい人ではありません。
その証拠に、福島の原発事故さえ止められませんでしたし、そこから起こる被害の大きさについての想像力もありませんでした。
ただ沈没しそうになった船から、いち早く逃げてしまった船長のような人です。
そんな人をなぜ信頼できるでしょうか。
田中さんは、口では反省したと言いますが、何を反省したかは何も言いません。
反省するのであれば、サルでもできますが、彼は反省どころか「除染」活動をしています。
彼ほどに大きな責任を背負ってしまったのであれば、もっとやれることがあるでしょう。
最初は感激して見ていた田中さんの除染作業の姿は、今の私には狡猾なものにしか見えません。
彼は、福島の意見聴取会での住民の発言をどう聞いたのでしょうか。
誠実な人間であれば、反省も誠実にすべきです。
委員長を受け容れ彼の神経が全く理解できません。
ちなみに、田中さんは、自分は研究所にいたので、企業とは直接関わってこなかったといっていましたが、この発言もとんでもない発言です。
私が一番怒りを感じたのは、この発言です。
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