■個人の思いと閣僚の意見
今朝の朝日新聞にこんな記事が出ていました。
古川元久国家戦略相は16日、原発事故の影響で福島県内で避難生活を続ける住民との意見交換会に出席した後、記者団に対し、「個人の思いとしては、原発のない社会をめざしたい」と述べ、脱原発の立場を鮮明にした。いうまでもありませんが、古川さんは国家戦略相として大飯原発再稼動を決定した中心者の一人です。
また、「エネルギー・環境会議」の議長でもあります。
その古川さんが、政府閣僚としては初めて「脱原発」を口にしたことを評価する人もいますが、私にはとんでもない二枚舌だと思います。
こういう人間が、私は一番嫌いです。
新聞によれば、非公開の会合の中で、古川さんは、福島第1原発5、6号機と、第2原発1~4号機の再稼働について「事故が起きたこの地であり得ない」と述べたとも書かれています。
この記事が本当だとすれば、呆れた話です。
非公開の場で話すのと公開の場で話すのと閣議で話すのと、使い分けているのも嫌な気がしますが、それ以上に「事故が起きたこの地であり得ない」という発言です。
大きな事故が起きたことのない大飯では「あり得る」と言うわけです。
そして実際に彼は、それを認めたのですが、いかにも迎合的です。
二枚舌族の典型的な発言スタイルです。
彼が原発のない社会を目指していないことは明白です。
しかし、私たちは、時にこうした小賢しい発言に騙されてしまいます。
それにしても、「個人の思いとして」という言い方は、いかにも卑劣です。
責任逃れとしかいえません。
靖国参拝でもよく使われる詐称行為ですが、個人でなければなんなのか。
要するに古川さんは自らの信念では生きていないのです。
長いものに巻かれて生きているのでしょう。
不思議なのは、有力な立場にある発言力の大きい政治家ほど、自らの信念で行動しなくなると言うことです。
普通に考えれば、逆のはずです。
有力な立場に立った人ほど、自らの信念で行動できるはずです。
しかし、どうもそうではない。
これは政治の世界だけではありません。
経済の世界でも、そうしたことが見られます。
要するに、組織の階段を登るに連れて、自らの信念を捨てていくという、奇妙な現実があるのです。
言い換えれば、いわゆるピラミッドクライマーは、信念のない人といえるかもしれません。
そこにこそ、組織の恐ろしさがあります。
私が組織を最大の危険物と考えるのは、そのためです。
しかし、そうではない組織原理もあるはずです。
そう思ってこの20年活動していますが、なかなか地平が開けてきません。
今日もちょっとそんな関係で、苦労してきました。
組織を使いこなすのは、実に大変なことなのです。
そのため、ほとんどの人は組織に使われることを好みます。
たとえ、過労死やメンタルダウンしても、です。
それでは、生きているとは言えないのですが。
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コメント
信念と共に、重罪覚悟でピラミッドの頂点へ登りつめた人々が、
信念を保てている内は、まだマシな方かもしれませんね。
まぁ、その心配は必要ないでしょうけど。
近代の情勢を踏まえて"マシ"などと表現するのは、多くの人にとって不謹慎極まりないでしょうが。
投稿: 2933 | 2012/08/18 22:55