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2012/08/14

■節子への挽歌1808:美術展に行かなくなりました

節子
東京都美術館が改装されました。
節子とはよく行きましたが、最近は行かなくなりました。
広いので、私には苦手の美術館でした。

節子と最後に行ったのは、今もはっきり覚えていますが、6年前のペルシア文明展でした。
節子は闘病中でしたが、だいぶ元気になっていました。
数年前に2人でイランに旅行し、ペルセポリスにも行っていましたので、歴史に疎い節子にも関心があったのです。
たぶん私が誘ったのだと思います。めずらしいことです。
会場のミュージアムショップで、偶然にも節子の友人たちに出会い、節子は友人たちに合流し、私は一人で湯島の事務所に行ったのを覚えています。
私は絵画展が好きではないので、いつも絵画展は、節子は私ではなく、その友人たちと出かけていたのです。
しかしペルシア文明展ということで、私と2人で行くことになったのでしょう。
それが、私と節子が一緒に行った都美術館の最後でした。
その2か月後に、節子は再発。
医師からは覚悟してくださいと言われました。

その都美術館が改装されて、この4月に再開されました。
今日、娘が毎週見ている「ぶらぶら美術館」を付き合って観ていました。
都美術館ではいま「マウリッツハイス美術館展」をやっているのですが、その紹介でした。
今回の目玉は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だそうです。
そういえば、先日、上野を歩いた時に看板が出ていました。
私自身は、フェルメールには関心はないのですが、凄い人気のようで会場も混雑しているようです。
娘は10年ほど前にオランダのマウリッツハイス美術館に行ったそうですが、その時には無造作に飾られている小さな作品といった感じだったそうです。
当時はむしろレンブランドだったのでしょうか。

節子は、レンブランドは好きでしたが、フェルメールはどうでしょうか。
あまり好みではないような気がしますが、「真珠の耳飾りの少女」は気にいるかもしれません。
最近この絵をよく目にするせいでしょうか、私も昔ほど嫌いではなくなりました。
それにこの少女のトルコ風の衣装はいいです。

最近、東京は美術展が盛んです。
私にはほとんど興味はありませんが、節子がいたらさぞ喜ぶことでしょう。
付き合わされていたかもしれません。
節子と結婚した頃は、私のほうが誘い役でしたが、いつから節子が誘い役になったのでしょうか。
その節子がいないので、最近は美術展に行かずにいます。
美術展は疲れるので、それはまあ私には楽なことです。
が、さびしさもないわけではありません。

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