■節子への挽歌1799:お人好し
節子
今日は土曜日なのですが、急に相談に乗ってほしいという連絡があり、湯島に行ってきました。
それでまたお昼を食べそこなってしまいました。
私が会社を辞めて、わが家の貯金がどんどんなくなって、さすがの節子も心配しだしたことがあります。
そして私に言いました。
どうしてこんなに働いているのにお金が入ってこないの、と。
しかし、しばらくして、そういう発言をしなくなりました。
そしてお金を使わない生活に切り替えてくれました。
いまの政府の人たちに見習ってほしいものです。
お金はなければないで、どうにかなるものです。
まあ時にどうにもならずに借金せざるを得なくなることもありますが、それでも真面目に生きていればどうにかなるものです。
最近、娘が私に言います。
少しはお金をもらえる仕事をしたら、と。
しかし娘も本気でそう言っているわけではありません。
私の性格を知って、多分もう諦めているでしょう。
いろんな人が相談に来ます。
私がなにか出来るわけではありませんが、なぜか来るのです。
そしてうまくいきだすと来なくなります。
一度くらいお礼に来ても良さそうなものをと、節子は時々言ってました。
私もそう思うこともありましたが、今はそうは思いません。
なぜなら、私は相談にきても何の役にも立っていないからです。
問題の解決は、要するに当人にしかできないことなのです。
そのことがよくわかってきたのは、やはり節子のことをいろいろと考えているうちに気づいたのです。
私は、何か困ったことや悩みが発生したら、必ず節子に相談しました。
そして、その問題は必ず解決しました。
節子が何かをしてくれたわけではありません。
しかし、節子に話すことで、なぜか問題は解決に向かうのです。
そこにいるだけでいい存在。それが節子でした。
私のところに相談に来る人も、もしかしたら同じなのかもしれません。
だとしたら、どんなに忙しくても、相談には乗らなければなりません。
相談に乗ることが価値あることだからです。
問題は、私の相談に乗ってくれる人がいないことです。
お腹をすかせての帰路、私だけが割りを食っているのではないかと、ふと思いました。
最近少しひがみっぽくなっているのです。
そして、「修さんはお人好しだから」と笑っていた節子を思い出しました。
私は決して「お人好し」ではないのですが、ちょっと納得できない金もします。
今朝は畑仕事もせずに、寝不足のなかを、なんで出かけてしまったのでしょうか。
もしかしたら、節子がいた頃もこうして、節子との時間は二の次だったのではないかとちょっと心配になってきました。
いまさら遅いことですが。
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