■節子への挽歌1824:後悔がほとんどです
友人が奥様を亡くされました。
それも実に突然に、です。
まもなく3か月が経ちます。
その頃から、そろそろ辛くなったことを思い出して、メールをさせてもらいました。
そのKTさんからメールが来ました。
いざ居なくなると生前のいいところばかりが思い出されます。いなくなってわかることが、どれほど多いことか。
突然のあの時からまる3カ月経ちました。
仰るように、ここにきて何かと考えることが突然湧いてきます。
後悔がそのほとんどですが・・・・・。
この先の残りの人生を如何様に生きたらいいのかまだ分かっておりません。
私よりも若く、いまは仕事で気をまぎらわせているとはいえ、いやおうなく考えさせられていることでしょう。
痛いほど、それがわかります。
私はまもなく妻を見送ってから5年が経ちます。
にもかかわらず、いまだに伴侶を亡くしたことの意味がわからなくなることがあります。
実感できずに、頭が混乱してしまうという意味です。
朝起きて、雑事をしていても、なんでこんなことをやっているのだろうかと思うのです。
これは節子の仕事だろう、というわけです。
節子の仕事を自分がやっている意味がわからなくなる。
5年経っても、まだ新しい世界に馴染めていないのです。
ましてや3か月。頭が整理できるわけがありません。
心身のバランスも取れないはずです。
でもこれは人によって違うかもしれません。
同じ3か月前に伴侶を亡くしたもう一人の友人は、
仕事と時の経過のおかげで落ち着きを取り戻してきました。と書いてきました。
今は大地に還った家内を時に偲ぶばかりです。
まだ返事を書けずにいます。
暑い夏が過ぎると秋。
秋もまた、愛する人を送った者には思いを深めさせる季節です。
今年の8月は、私は宙を浮いたようにすごしましたが、かなり自分を取り戻してきました。
少しずつ現実に対峙できるようになってきた気がします。
後悔の世界からも、だいぶ自由になってきました。
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