■節子への挽歌1810:送り火
節子
彼岸からの実家帰りも今日で終わりです。
ゆっくり休めたでしょうか。
私はゆっくりしたかったのですが、何かと用事が多く、その上、予定外の急用で2度も湯島に引っ張り出されました。
しかしそれでも、一応は「私たち的な4日間」だったと思います。
なにが「私たち的」かは説明できませんが、気分的にはそう思います。
今日も、午前中、緊急の相談が発生して湯島に行きましたが、お昼は娘たちと食事をする予定だったので急いで戻りました。
節子がいたら、手づくりでジュン夫妻に家庭料理をご馳走するでしょうが、いつも世話になっているユカへのねぎらいも兼ねて、今日は鰻屋さんに行きました。
初めてのお店でしたが、評判に違わず美味しかったです。
節子は匂いだけだったと思いますが、いかがでしたか。
夕方、みんなでお墓に行って、送り火をしました。
お墓はごった返していました。
この風景は、いつみても良い風景です。
わが家では、家の精霊棚の灯明の火を提灯にうつし、それをお墓に持っていき、その火で墓前で送り火を燃やします。
そうやって、節子を送り出すわけです。
ところが、墓前で送り火を焚いているところが見当たりません。
なんだかわが家だけ間違っているような気がしてきました。
それになかなか火が燃えずに、苦労しました。
まあ何をやっても、どこか間が抜けているのがわが家の文化なのです。
節子を送り出した後、ジュン夫妻に手伝ってもらって、畑仕事をしました。
最近はこれをやらないとなんだか落ち着かないのです。
こうして毎年1回の短い夏休みが終わりました。
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