■節子への挽歌1797:死んでいるのに、生きている
節子
手賀沼の花火大会は今年も中止です。
その代わり、近くの満天の湯が、恒例の花火を今年も上げました。
30分ほどのミニ花火大会です。
だれかを呼ぶほどのこともない地味な花火大会ですが、ユカと一緒に屋上で少し見ました。
娘と2人ではまったく盛り上がりません。
むしろなにか寂しさが募ります。
昔は、わが家にも大勢の人が花火を見に来て、節子はその接待で自分ではあまり見られなかったほどだったなあなどと思い出したりしてしまうのです。
いつまでメソメソしていると言われそうですが、別にメソメソしているわけではなく、まあそういう気持ちが自然とわいてきてしまうのです。
それをメソメソと言うのかもしれませんね。
わが家をここに決めたのは節子でした。
花火が見える場所だったからです。
その節子は、花火を堪能する間もなく病に襲われてしまいました。
最後の年は、花火大会の日も私と節子は花火の音しか聞えない部屋で過ごしました。
花火を見に来ている人たちは、節子の辛さをどれほど知っていたでしょうか。
庭や屋上で楽しんでいました。
そういう人たちにも、節子は辛さをあまり見せませんでした。
知っていたのは私と娘たちだけでした。
思い出すだけで、複雑な気持ちになってしまいますので、思い出すのをやめましょう。
あれ以来、私は花火があまり好きではありません。
昔は大好きでした。あの音がたまらなかった。
今も音は好きですが、花火を見ていて、ふと思うのです。
なんでこんなものが、あんなに楽しかったのだろうか、と。
花火だけではありません。
そう思うことが、たくさんあります。
まだ心が死んでいるのかもしれません。
死んだのは節子ではなく、私だったのかもしれない、などという気さえします。
死んでいるのに、生きている。
訃報つづきの影響で、心がどうも沈んでいます。
花火も心を元気づけるどころか、さらに沈ませてしまったのかもしれません。
やはりまだメソメソしてるようですね。
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