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2012/08/31

■節子への挽歌1825:臨死体験談

節子
今日は、恒例のオープンサロンでした。
節子がいる時とは違って、男性が多くなり、また人数も少なくなりましたが、その代わり、話の密度は濃くなっているかもしれません。
今回は節子の知っている人半分と知らない人半分でした。
メンバーも変化してきています。

節子もよく知っている中村公平さんはいま、八ヶ岳山麓で家族3人で暮らしています。
まだ東京に家があるので、時々戻ってきますが、そのついでにサロンにも参加してくれます。
テレビや新聞から解放されて、自然の中で豊かに暮らしているようです。
今日は、自分でつくったかぼちゃをお土産に持ってきてくれました。

いつものように、話題は広がりましたが、最後に臨死体験したお2人から生々しいお話がありました。
一人は、節子のいた頃のサロンにも時に参加してくれていた平田さんです。
交通事故と脳梗塞で2回、死を身近に体験しています。
その時の話をしてくれました。
交通事故の時は幽体離脱の体験でした。
脳梗塞の時は1週間ほど意識が戻らず、臨死体験の意識もなかったようです。
ところが意識が戻ってから、ある夢を見たそうです。
ベッドの横に亡くなった2人の祖母が表れ、平田さんもベッドから落ちそうになったそうです。
その先に道路があって、いろんな人が右から左に向かって歩いている。
そこに小学生の時に死んでしまった友人の顔が見えたそうです。
そちらにどんどん引っ張られそうになっていた時、病室の隣のベッドの人が、布団が落ちそうですよと声をかけてくれたおかげで、目が覚めたのだそうです。
少しして、この夢は初めてではなく、意識がなかった時にも体験したことだったと気づいたそうです。
小学校時代の友人は、平田さんにとっての初めての死の体験だったのです。

鷹取さんも体験を話してくれました。
アメリカで友人の運転する車に乗っていた時に、カーブで直進してくるコンボにぶつけられたのだそうです。
助手席に乗っていた鷹取さんは大声で悲鳴を上げたらしく、その声で運転していた友人はブレーキではなくアクセルを踏んだおかげで、わずかの差で2人は助かりました。
乗っていた自動車の後半分は跡形もなく破壊されていたそうです。
自動車の衝突音がする前に、鷹取さんの頭の中に、過去の思い出のシーンがデジタル的にフラッシュバックしてきたと言います。
そして死んだと思ったそうですが、後ろを振り返って車の半分がないのを助かったことに気づいたそうです。
鷹取さんの場合は、臨死体験と言うよりも、死の予知がもたらした死の体験だったと言えるでしょう。
死が、まさに時間の流れを乱すものであることを示唆してくれます。

多くの人が、幸せそうな表情で死を迎えるとよく言われます。
自分の懐かしい人生の思い出に包まれるからでしょうか。
たしかに、節子も穏やかな表情でした。
そして、時間さえをもコントロールしているような気がしました。

あの時、節子は何を見ていたのでしょうか。

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