■節子への挽歌1791:セミ
節子
セミの話です。
そういえば、ギリシア神話では「黄金のセミ」はアポロの持ち物でした。
言うまでもなく、アポロは太陽神ですが、夜明けとともに泣き出すセミがアポロと結び付くのは納得できます。
しかし、セミは不思議な生き物です。
私は昔から、セミが不思議でした。
セミには水分が感じられないからです。
生きていても死んでいても、いつも「カラカラ状態」です。
私にとっては、もっとも生物的でない生き物がセミでした。
そのセミが、唯一、瑞々しく輝くのが羽化の途中なのです。
セミは、不死や復活、さらには永遠の若さや幸福を象徴すると同時に、現世のはかなさや移ろいやすさの象徴でもあります。
見方によって全く違った存在になりえる存在なのです。
しかし考えようによっては、それらはすべて同じことかもしれません。
最近はそんな気さえするようになってきました。
節子がいたら絶対にそんな思いは生まれないでしょうが。
死んだ生物で、ほぼなんのためらいもなく触れるのはセミくらいかもしれません。
生命を超えた、不思議な生物です。
もしかしたら、此岸と彼岸を往来しているのかもしれません。
お盆に近づくと、セミが賑やかになってくるのも、そのためでしょうか。
節子の生家での夏の法事にでた時には、家の近くの大きな樹のセミが実に賑やかでした。
最近も、夏のお施餓鬼でお寺に行くと、これまたセミの大合唱です。
まるでセミたちが読経しているようでもあります。
今年もまたお盆が近づきました。
節子の位牌の前にも精霊棚ができました。
節子がいなくなってから5回目のお盆が来ます。
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