■節子への挽歌1785:畑が復活しだしました
節子
今日も夕方、畑に行ってきました。
節子がいたら楽しい畑仕事も、私一人ではただただ重労働でしかありません。
空いている宅地を活用したわが家の家庭菜園は、半分は通る人を意識した花畑で、半分はわが家の食材のための野菜畑でした。
節子がやっていた頃は、ピーナッツまで植えたりしていました。
節子は奇妙なところで挑戦的でした。
最初は土壌が悪いために、出来は良くありませんでしたが、年々少しずつ良くなってきました。
ようやく畑らしくなった時に、節子が病気になり、わが家の畑は荒れだしました。
それでも節子がいた頃は、何とかその指示で、野菜も少しは収穫できました。
節子がいなくなると共に、わが家の農園も荒れだしました。
もうやめようかと娘たちが言い出しましたが、私はその気になれず放置していました。
そしてようやくまたやろうと思った矢先の放射線汚染。
さらに畑は放置され、今年の春には笹で覆われてしまいました。
その荒れ放題の節子の農園をいま少しずつまた畑に戻そうと頑張っているのです。
春から何回か雑草取りに出かけていますが、少し間をあけると元の木阿弥です。
雑草や笹の成長力は本当に驚異的です。
やってもやっても何も変わらない。
それで諦めかけていましたが、また再開しました。
熱中症になりかねないので、無理をするなと娘は言いますが、私の性格は、熱中症の危険性があればこそ、やりたくなるのです。
節子と一緒にやっていた時も、節子は涼しくなってからやればよいのに、あなたは思いついたらやりだす、といつも注意していました。
その上、私のやり方にはいつもだめだしでした。
思いつきで、めちゃくちゃに頑張って、しかしすぐに飽きて終わってしまうからです。
私のやった後は、ただただ雑然としてしまっているというのです。
節子のやり方は違いました。
小さな部分でもいいので、ともかく少しずつをていねいに完成させていくのです。
私の好むところではありません。
しかし、最近、私も節子のやり方に変えました。
ただ雑然とやっていては、何も変わらないからです。
最後の仕上げをする節子がいないので、節子の分までやらなければいけなくなったというべきでしょうか。
そうしたら荒れ放題の笹藪が、少しずつ畑に戻りだしたのです。
節子と私の、物事の処理の仕方はいつも対照的でした。
思いつきでいい加減な私のやり方を、いつも節子は嘆いていました。
しかし、節子は、私のやり方を受け容れてもいました。
諦めてのことだったのかもしれませんが、そこが節子の実に良いところです。
今から考えると、どうも節子のほうが私を包み込んでいたようです。
今度会ったら謝らないといけません。
節子のおかげで、わが家の農園が復活しそうです。
復活したら、「節子農園」と名付けましょう。
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コメント
ツツガムシ(笹ダニ)にもご注意を。山でなくともいると思います。
投稿: 2933 | 2012/08/04 10:00
2933さん
ありがとうございます。
ツツガムシかどうかわかりませんが、手がかゆくて仕方がありません。一応、長袖で作業していますが。さらに注意します。
投稿: 佐藤修 | 2012/08/05 11:12