■節子への挽歌1814:節子のいたずらでしょうか
オフィスのあるビルのオーナーの綱島さんに久しぶりに会いました。
7年ぶりくらいでしょうか。
といっても、特に綱島さんと親しかったわけではありません。
窓口は別の人でしたし、ゆっくりお話したのは7年ほど前の一度だけです。
節子が病気になった、私が代わりに綱島さんに会いに行った時です。
綱島さんも私を覚えていました。
人の付き合いは決して、会う頻度ではないのです。
綱島さんが、佐藤さんはどうしているか心配してましたと言ってくれました。
そして、何人かの人から佐藤さんと連絡がつかないのだが、と訊かれたことがあったとも教えてくれました。
たしかに一時期、お金がなくなったのとオフィスに出てこなくなったので、電話も解約していました。
オフィスに訪ねてきても、鍵はかかっていましたし、電話は不通になっていましたから、夜逃げか蒸発かと思った人がいてもおかしくはありません。
綱島さんの父上は書家でした。
毎年、お正月にはその大きな書が本社ビルの入り口に掲げられていました。
毎年、節子とそれを見ては感心していました。
その父上も昨年、亡くなれたそうです。
今日はまた帰り道で、近くのローソンのオーナーから声をかけられました。
なぜかこの方は道で私に会うといつも丁寧に挨拶をしてくれるのです。
最初は不思議だったのですが、たぶん私たちが湯島にオフィスを開いたのと同じ頃にローソンを開店したのでしょう。
そしてその頃、節子はいつもオフィスに来る途中、そこで買い物をしていたので、時々、節子と一緒にいた私のことも覚えてくれていたのだと思います。
そんなわけで、今日はなぜかオフィスの近くのお2人の方に声をかけられました。
いずれもある偶然から会うタイミングになったのです。
もしかしたら、これも節子のいたずらかもしれません。
考えてみると、2人とも実に不思議なタイミングで、普段はいない場所に私を待っているように存在していたのです。
そして声をかけてきたのです。
これはとても偶然とは思えません。
なんだか節子がいた頃に戻ったような、なにやらあったかい空気に触れたような気がします。
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