■節子への挽歌1804:一足先の節子
魂とはなんだろうか、と思うことがあります。
魂に関する本は何冊か読みましたが、みんなそれぞれに納得できます。
しかし、にもかかわらず、魂とはなんだろうと思うことがあるのです。
前にも書いたことがありますが、夢で節子の存在を感ずることがあります。
姿や形があるわけではなく、目覚めた時になにかとても至福を感ずることがあるのです。
それを節子と決めることはできませんが、間違いなく節子とつながっています。
今朝の明け方、わが家の老犬、チビ太の鳴き声で起こされました。
まあ毎晩のことですが、ほぼ寝たきりになってしまったチビ太は、なにかあると吠えて家族を呼びつけるのです。
今朝は、「運悪く」私のほうが娘よりも先に気づいて目覚めました。
その時に、その「至福感」を感じたのです。
そこに、とどまりたくて起きがたかったのですが、チビ太が吠え続けるので仕方なく起きました。
どうもチビ太は水が飲みたかったようです。
少し世話をしてベッドに戻りました。
そして少し前の「至福感」を思い出しました。
思い出しただけで、心があったかくなってきます。
しかし夢の具体的な内容はまったく思い出せません。
大勢の人たちに対して、私が話しかけているような気がしますが、はっきりしません。
そこに「節子的な何か」が存在していたのです。
最近、それは「節子の魂」ではないのかと思うようになりました。
それはまだ夢でしか、しかとは体験してはいませんが、夢でない現実の場でも、似たような体験があったような気がしてきました。
それが思い出せそうで思い出せないまま、またいつの間にか寝てしまいました。
そして1時間ほど前にまたチビ太に起こされてしまいました。
いやはやわがままな老犬様です、
どこかで節子の魂が、私の周辺にまだ存在していて、私を守ってくれているのかもしれません。
あるいは、お盆の迎え火を待っていられなくて、一足先に私のところに来たのかもしれません。
チビ太に邪魔されなければ、節子との時間をもう少し持てたかもしれません。
まったくチビ太には困ったものです。
今日からお盆です。
早くお墓に迎えに行くことにしました。
チビ太も私を起こした後は、静かに寝ています。
蹴飛ばしたいくらい何もなかったような顔をして寝ています。
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