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2012/08/21

■「終戦 なぜ早く決められなかったのか」感想

先週の終戦記念日に、NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」が放映されました。
友人がフェイスブックで、ぜひ見るようにと勧めてくれました。
その日は見られませんでしたので、昨夜、再放映されたものを録画してみました。
その題名から、実はあまり期待していませんでしたが、勧めてくれた友人には大変心苦しいのですが、あまり面白くありませんでした。
問題提起があまりに陳腐ですし、ソ連参戦の情報を軍部は予め入手していた証拠が、さも新しい発見であるように大仰に描かれていました。
なによりも、タイトルへの答があまりにも陳腐でした。
情報が共有されていなかったとか、統治機構に問題があったとかいうことでは、これまでの指摘と同じです。
もう一歩突っ込めば、現在の原発事故対応への問題提起になったはずですが。

しかし、とても共感できる言葉が紹介されていました。
昭和20年の春から、終戦締結工作に取り組んでいた髙木惣吉海軍少将が戦後書き残した文章です。
一部を書きとめました。

太平洋戦争を熟視し感ぜられたことは、戦争指導の最高責任の将に当たる人たちの無為、無策であり、意思の薄弱であり、感覚の愚鈍さの驚くべきものであったことです。
反省を回避し過去を忘却するならば、いつまで経っても同じ過誤を繰り返す危険がある。
勇敢に真実を省み批判する事が新しい時代の建設に役立つものと考えられるのであります。

この言葉は登場者すべての人にとっては、聞き流されているような気がしました。
もしかしたら、この番組を創った人たちもまた、観察者ではあっても自分の問題としては捉えていないのではないかと感じました。
しかし、意思と感覚を持った人が、あの時代にはまだいたわけです。
いまの時代はどうでしょうか。

これも有名な話ですが、アメリカは真珠湾奇襲攻撃を事前に知っていました。
それと同じで、ソ連参戦も広島への原爆投下も、日本は事前に知っていたのです。
最高責任者に届いていなかったという論がありますが、それは最高責任者を免責しません。ただ知ろうとしなかっただけの話であり、知らないことのほうこそ責任は大きいのです。
そのことは、企業不祥事でよく話題になりますが、それと同じ話です。
知って行動しないよりも、知らないことのほうが重大です。
前者は個別問題の話ですが、後者は全体の問題だからです。

終戦はなぜ早く決められなかったのか。
その答は簡単です。
みんな本気で早く戦争を終わらせようとは思っていなかったからです。
それは現在の脱原発と同じです。
この番組では、そうしたメッセージが出せたのに出さなかったことの意味はとても象徴的です。

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