■節子への挽歌1809:親孝行
節子
この数日、挽歌を書きまくってきました。
ようやく追いつきました。
今日は節子が旅立ってから、1809日目です。
奇しくも終戦記念日。
私は第二次世界大戦が始まる年(1941年)に生まれ、節子は終わる年(1945年)に生まれました。
節子と一緒に暮らしだしてからずっとそのことに何か意味があるような気がしていました。
これに関しては、節子と話したことはありませんが、もちろん節子も知っていました。
朝、少し涼しかったので、畑作業をしました。
私たちの両親の共通点は、働き者だったことです。
それぞれの子ども(私と節子)から見ても、4人とも一生懸命に生きていました。
両親が汗をかいている姿を、私も節子も覚えています。
それに比べて、私も節子も汗をかくことが少なかったような気がします。
しかし、こうして畑仕事をするとなんだか両親への孝行をしているような気がしてきます。
あんまり論理的ではないのですが、そう感じます。
畑仕事をしている両親を、私も節子も、子どもながらに覚えています。
いずれの両親も、農家の出身ではないため、農業は不得手でした。
それに、あまり器用なタイプではなく、不器用に生きていました。
それもまた、子どもながらに私たちは感じていました。
戦争が、それぞれの人生を大きく変えてしまったのです。
しかし、そのおかげで私たちは出会えたのです。
戦争前に生まれた私と、終戦前に生まれた節子が。
その両親に、十分な親孝行ができなかったのが、私たちの悔いのひとつです。
しかし、親孝行などというのは所詮、自分の満足感の問題なのかもしれません。
両親は満足していたかもしれません。
それは夫婦の間でも言えることですが。
私の両親は、私の兄のところにいま戻っているはずです。
娘と一緒に、これからお参りに行く予定です。
節子も一緒に行きますか。
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