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2012/08/09

■節子への挽歌1794:形の奥にある意味の世界

節子
昨日は思い立って東京国立博物館に行ったのです。
それで上野公園も歩いたのですが、上野は美術館も多いところです。
私と違って、節子は美術展が好きでしたから、元気な時にはよく付き合わされました。
私が上野通いをしていたのは、小学生から大学生の時代までで、それ以降はあまり行かなくなっていました。
むしろ節子に引っ張られていくことのほうが多かったでしょう。

私がよく遊びに行っていた、国立博物館と科学博物館はかなり変わってしまいましたが、大学時代に良く通っていた西洋美術館は昔のままです。
大学生の頃、そこでみたイタリア現代彫刻の強烈な印象が思い出されます。
形の奥にある意味の世界。
大学生の頃は、そうした思いに魅了されていました。
節子と会った頃は、まだそうした余韻が残っていましたから、節子にもたぶん得意気にそんな話をひけらかしたのではないかと思います。
偶然にもある日、京都行きの電車の中で会った節子と奈良に行ったのが、私たちの最初のデートでしたが、たぶんその時も、私はきっと仏像を前にそんな話をし続けたのではないかと思います。
節子には、初めての強烈な体験だったでしょう。
刺激が強すぎたかも知れません。
訳が変わらずに呆れるか怒るかして、帰ってしまってもおかしくないはずですが、節子にはとても居心地が良かったのかもしれません。
今となっては、確認のしようがありませんが、何となくそう思います。

話に夢中になって、奈良駅に着く頃には暗くなっていました。
お腹が減ったねと言って、たしか入ったのがラーメン屋さんのような気がします。
私たちの付き合いは最初からそんな気取りのない関係でした。
それも少し不思議です。

ところで昨日の国立博物館で、秋篠寺の十一面観音像に会いました。
こんなところに保管されていたとは知りませんでした。
もし知っていたら、節子と見に来たはずです。
節子も私も、十一面観音が好きですし、秋篠寺の葉写真でしかみた事がなかったからです。
とてもやさしい観音でした。
その向こうに、節子を感じました。

現実に見える風景の向こうに見えるもの。
それがもしかしたら、人の世界の広さかもしれません。

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