■話を聴くことから生まれる責任
昨日、野田首相と官邸前で抗議活動を続けている市民団体代表との話し合いがもたれた。と私は思っていましたが、今朝の新聞によれば、どうもそうではなくて、「面会」だったようです。
藤村官房長官は、今後も会う計画はあるのかと聞かれて、無いと答え、「面会」で首相は政府の考えをきちんと説明したというような答をしています。
どうも、面会の目的は説明だったわけです。
相手の考えを聞き、話し合うつもりはなかったわけです。
まさに「お上」の姿勢です。
それが明らかになっただけでも、昨日の「面会」は意味があったでしょう。
野田首相は、アサド大統領と同じく、話し合いということができない人なのでしょう。
「馬の耳に念仏」ほどの効果もなさそうです。
しかし、たとえ「面会」であろうと相手に話をさせた以上、そこから生まれる責任というものがあります。
ただ「聞きおく」だけでは、人の道に反します。
聞いた以上はそれなりの責任が発生します。
前に書いたように、「知る」ことは世界を変えることなのです。
しかも直接聞いた以上、無視はできません。
無視することは、最近、話題の「いじめ問題」の出発点でもあります。
無視されないように、子どもたちは、「いじめの世界」に引き込まれていくのです。
一国の首相が、無視を頻発することは社会を壊していきます。
その自覚があればいいのですが。
面会に出席した市民団体代表の人たちはどう思ったのでしょうか。
国会周辺での抗議活動は続けると話していましたが、それは当然として、そろそろ次のステップに進む時期だろうと思います。
シリアとは違った進め方があるはずです。
しかし、シリアと日本と、どちらが人間的な社会か、最近、わからなくなることがあります。
今の日本は、まさに「ゆでがえる国家」のような気がしてなりません。
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