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2012/08/15

■国家は解散できないものでしょうか

橋下新党の方向性が次第に明らかになってきています。
参加の可能性がある現在の国会議員の名前も出始めました。
どういう人が集まるかで、組織の本質(基本思想)は見えてきます。
これまでの具体的な主張には共感できるところがいくつかありましたが、基本思想が見えてくるに連れて、その古い体質が強くなってきているように思います。
しかし、脱原発を主張している飯田さんもまた戻ったように、さまざまな立場の人たちが「変革」を目指して集まっているのでしょうが。

姿が見えてきた橋下新党は、私の世界とはどうも正反対にあるもののようです。
私でさえそう思うのですから、たぶん失速していくでしょうが、残念なことは、そうしたものも一度はパワーを得てしまうものですから、予断は許せません。

世論調査によると、自民党支持者が増えているようです。
いまのような中途半端な世論調査にどれほどの意味があるかは疑問ですが、少なくとも民主党は瓦解しつつあるというイメージは強まっているのかもしれません。
小沢新党は、その広報戦略において、時代錯誤に陥っているのか、なかなか見えてきません。
見えないものには、国民は反応できません。
せっかくのチャンスを活かせないまま終わる恐れもありそうです。

みんながオリンピックにうつつを抜かしているうちに、消費増税法は成立し、原発再稼動の路線も着々と進められています。
解散も、うやむやになりそうですが、仮にいま、解散して総選挙になったとしても、選ぶべき候補者がいないのが現実かもしれません。
野田政権には早く終わって欲しいですが、では次の選挙でどの党に投票するか。
そして政治状況は変わるのか。

こういう状況の中で、ドイツのナチは力を高めていったのでしょう。
昭和初期に日本もそうだったのかもしれません。
国会の解散ではなく、できることなら一度、国家を解散できるといいのですが。

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