■節子への挽歌1803:お盆の花
節子
明日からお盆です。
近くのMさんが、夕方、お盆に供えてくださいと立派な花のアレンジメントを持ってきてくれました。
Mさんの母上も、節子とほぼ同じ時に亡くなったのです。
Mさんとはここに転居してきてからのお付き合いです。
さほどお付き合いがあったわけではありません。
転居後、2年ほどで節子が発病してしまったからです。
その、ほんのわずかな期間の節子とのお付き合いに、Mさんはいまも毎年、立派なお花をお盆に届けてくれるのです。
そのお気持ちが、とてもうれしいです。
私にとっての最大の喜びは、節子を思い出させてくれることなのです。
しかし、それはそう簡単なことではありません。
私も娘と一緒に花を買いに行きました。
夕方になってしまっていたので、もうほとんど売れてしまっていました。
残っていたのは、いかにも「仏花」というものばかりです。
それは、私の、そして節子の、好みではありません。
ユリを探しましたが、いいものが見つかりません。
バラがあったので、それにしようとしたのですが、娘がいかにもそれはお盆らしくないと言われてしまいました。
確かにそんな気もしますし、バラとしても、もう一つ元気がないバラでした。
娘は私と違って、良識派、つまりあまり逸脱を好みません。
結局、意見がまとまらず、明日の朝、もう一度買いにくることになりました。
花ひとつとっても意見が分かれてしまう。
それがわが家の文化なのです。
困ったものです。
父親の権威など微塵もないのです。
Mさんからのお花は、仏花ではなく、いつも「奥様のイメージ」で、とアレンジしてもらってきてくれています。
私たちよりもずっと誠意があり、節子もそちらのほうが気に入るだろうことは間違いありません。
だとしたら、ユリはやめて、庭の花を供えることにしようと思います。
手入れ不足で、庭の花がちょっとさびしいのが残念ですが、まあ節子は喜ぶでしょう。
明日から節子が戻ってきます。
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