■節子への挽歌1793:骨董市
節子
不忍池の横の通りで、夏まつり恒例の骨董市が開かれていました。
骨董市に出会わすのはたぶん6年ぶりです。
節子がいた頃は、この骨董市を見て歩いたものです。
残念ながらここで出品されているものは、あまりわが家の好みではないで、「市」好きの節子もあまり買った記憶がありませんが、買う物が有ろうが無かろうが、お店を見るのが節子は好きでした。
路地の骨董市ではありませんが、湯島から上野、あるいは御徒町に出る狭い通りにも、ちょっと面白い陶器や漆器、和紙などのお店がいくつかありました。
節子と歩いていると、よくそうお店に連れ込まれました。
一度入るとなかなか出てこないのが節子でした。
そういう体験も、いまはもう遠い昔の話です。
「市」といえば、やはり一番の思い出はルクソールの市場でした。
最初の家族海外旅行で行ったエジプトの市場はどこも面白かったですが、ルクソールの雑然とした市場は刺激的でした。
ミシンで衣服を縫っている人がいるかと思えば、生き物をさばいている人がいる。
実に不思議な空間でした。
もしかしたら、節子の市場好きは、あれ以来かもしれません。
今日は、節子がいなかったので、お店に目をやることもなく、そそくさと通り過ぎてしまいました。
もしかしたら、節子がいなくなってから、私の人生も、寄り道もなく、無駄もなく、ただそそくさと急ぎ足で歩いているだけかもしれません。
途中でそう思って、引き返して写真を撮りました。
節子は私の人生に、たくさんのものを付加してくれていたのです。
それが最近よくわかってきました。
節子がいない人生は、やはり味気なく面白くありません。
節子がいたら、それこそすべてのものが輝いていたのです。
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