« ■節子への挽歌1805:5回目の迎え火 | トップページ | ■節子への挽歌1807:節子と話せないさびしさ »

2012/08/13

■節子への挽歌1806:幸せは2度と戻ってこない

節子
オリンピックが終わりました。
私は、オリンピックにはほとんど関心がありません。
最近のオリンピックは完全なお金まみれのショーになっています。
節子だったら何と言うでしょうか。
私は、この世の末世を感じました。

テレビを見ながら、思い出したことがあります。
20世紀初頭のウォーンで、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」が流行ったという話です、
「美しき青きドナウ」に歌詞をつけて、当時のウィーン子は歌ったそうです。

ウィーン子よ 陽気にやろうぜ
まあ見回してごらん
またたく明かりを見てごらん
ほら カーニバルじゃないか
だから時代なんか気にするな

休まずに踊れ
刹那を上手に利用しろ
幸せは2度と戻ってこない
今日手に入ったものならばさっさと使ってしまえ
時の経つのは早いもの
喜びのバラはあせるもの
されば踊れよ さあ踊れ

ウィーンはハプスブルグ家の本拠地です。
しかし、当時はハプスブルグ家の落日といわれるほどの不況でした
社会が大きく変わる中で、ウィーンの人たちはみんな大切なものを失い、希望を見出せずにいたのでしょう。
ただただ踊るしかなかったのです。

歌詞の中に、「幸せは2度と戻ってこない」とあります。
これは、幸せだった人たちの言葉です。
しかし、踊る人の中には、幸せでなかった人もいたでしょう。
そうした人たちは、刹那を上手に利用して幸せをつかめと踊っていたでしょう。
幸せを失う人がいる時には、必ず幸せを得る人がいるものです。
そして、幸せだった人たちも実はもうひとつの幸せを求めて踊っていたのです。
だからこの歌の真意は、そして踊りの動機は、幸せを求めたものだったのだろうと思います。
そもそも「幸せは2度と戻ってこない」という言葉の真意は、もう一度幸せになりたいということでしょう。
私の頭の中では、オリンピックに大騒ぎしている人たちが、ウィーン子に見えて仕方がありません。

本当の幸せは、そんなに簡単なものではありません。
私は、失ってもまた戻ってくるような幸せには興味はありません。
2度とないほどの幸せを持てたことにこそ、幸せを感じたいからです。
それを得るには、しっかりと自分を生きることです。
自分をしっかりと生きていれば、失うことのない幸せは手に入ります。

オリンピック会場の大仰な聖火台よりも、わが家の精霊棚の小さな灯明のほうが、私には輝いて見えています。
節子としっかりと生きてきたことを、その小さな灯明は知っているでしょう。
小さく揺らいでいる灯明を見ていると、その向こうに節子を感じます。
節子がせっかく戻ってきているのに、話し合えないのがいささか残念ですが。

|

« ■節子への挽歌1805:5回目の迎え火 | トップページ | ■節子への挽歌1807:節子と話せないさびしさ »

妻への挽歌10」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1806:幸せは2度と戻ってこない:

« ■節子への挽歌1805:5回目の迎え火 | トップページ | ■節子への挽歌1807:節子と話せないさびしさ »