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2012/08/17

■節子への挽歌1811:美野里町の思い出

節子
今日は茨城県の美野里町(現在は小美玉市)に行ってきました。
住民たちの本づくりの活動のアドバイザー役です。

10年ほど前まで、私は住民主役のまちづくり活動に関心を持っていました。
そのひとつが美野里町でした。
文化センターをつくるというプロジェクトに関わったのです。
それが縁で、美野里町には10年近く関わらせてもらいました。
文化センターのオープン時のこけら落としには、節子と一緒に招待されました。

美野里町には花木センターというのがあります。
節子と大洗に行った帰りに寄りました。
節子好みの花がたくさん販売されていました。
たしかあの時はシャクヤクを買ったように思います。
そのシャクヤクは今も元気かどうか心配ですが、少なくとも数年は見事な花を咲かせていました。
節子は、その花木センターがお気に入りでしたが、残念ながら病気のために、その時が最初にして最後になってしまいました。

節子の葬儀の時には、美野里町からもわざわざ多くの人が来てくれました。
その一人が、その文化センターの山口館長です。
山口さんは、もともとは花づくりが本業とお聞きしていますが、住民主役の文化センターのために館長として巻き込まれてしまったのです。
昨年、山口さんが湯島にやってきました。
そして、この文化センターの活動を本にするプロジェクトのアドバイザー役を頼まれたのです。
断るわけにはいきません。

今日、山口さんにわが家の家庭農園を花畑にするためのアドバイスをもらいました。
妻が花が好きだったのでと言うと、奥さんの葬儀にも花がたくさんありましたね、と言われました。
それで、山口さんがわざわざ葬儀に来てくださったのを、改めて思い出したのです。
当時は、実は誰が来たかどうか、あまり覚えていないのです。
節子の友人を中心にしていたので、私の友人知人関係にはあまり伝えなかったのですが、どうして美野里町まで伝わったのでしょうか。
あの頃は私もまだ、きちんと社会につながっていたのでしょうか。

私が美野里町に通いだしたのは、「美しい野の里」という当時の町名に惹かれたからです。
その感覚は、節子の感覚です。
いつか節子とゆっくり来たいとも考えていました。
美しい田園風景も魅力的でした。
しかし、節子とゆっくりと訪れる機会はありませんでした。
節子が元気だったら、こことはもっと違う形での付き合い方があったかもしれません。
そう思う場所が、美野里町のほかにもいくつかあります。
それができなくなってしまったことが、とても残念です。

今日は住民のお一人から、手造りの味噌をどっさりもらいました。
前回は野菜、今回はお味噌。
仕事の報酬は、こういう誠意に満ちたものが最高です。

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