■「君の生き方」ではなくて「私の生き方」を問いたい
前にも一度書きましたが、朝日新聞で連載されている、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」は、まだ連載が続いています。
その姿勢に大きな疑問を持ちます。
私だけではなく、ある人からは、いじめと無縁の世界の人たちが他人事で説教しているのに腹が立つと言われたので、朝日新聞に投稿しましたが、見事に不採用でした。
そこで少し書き直して、このブログに収録することにします。
この連載コラムで一番気になるのは、問題は、「君」にあるのではなく「私」にあるという視点が欠落していることです。
そう思って読み直してみると、みんな「他人事での発言」になっているように思います。
そもそも「君へ」という発想は、状況を他人事として受け止めている視点です。そこからは「いじめを放置している私」「いじめが広がっている社会の一員である私」という視点は出てこない。それでは、所詮、他人事でしかありません。
悪いのはみんな「君」や「彼」「彼女」と考えてしまえば、社会はなにも変わりません。
そうした姿勢こそが「いじめ問題」を生み出しているのかもしれません。
「いじめ問題」が問いかけていることは、「君の生き方」ではなくて、「私の生き方」ではないか。そして。私たちがつくっている「社会のあり方」ではないか。
社会は、私たち一人ひとりの生き方で変わっていきます。「君」に呼びかける前に、まずは自らの生き方を見直したい。
それがあってこそ社会は変わります。問題は、「君」ではなく「私」なのです。
朝日新聞の見識を疑います。投稿している人たちの見識も、ですが。
| 固定リンク
「社会時評」カテゴリの記事
- ■嘘を前提にして議論する社会(2019.12.04)
- ■「守る」ことは大切ですが、そこからは何も生まれてきません(2019.11.12)
- ■「怒らなくなったら人間は堕落します」(2019.11.05)
- ■「都合のいい現実」が作られる非情報化社会(2019.10.31)
- ■さんまの内臓はやはり私には向いていません(2019.10.31)
「マスコミ時評」カテゴリの記事
- ■ちょっと、そしておおいに残念なこと(2019.10.11)
- ■最近、韓国がますます好きになってきています(2019.09.03)
- ■チョ・グクさんの疑惑問題は日本では日常的なことでしょう(2019.08.29)
- ■最近のテレビ報道に思うこと(2019.08.19)
- ■心愛ちゃんと結愛ちゃん(2019.02.08)
「生き方の話」カテゴリの記事
- ■嘘を前提にして議論する社会(2019.12.04)
- ■市町村選挙は自分たちの住んでいる町の未来を考える機会です(2019.11.13)
- ■「怒らなくなったら人間は堕落します」(2019.11.05)
- ■「都合のいい現実」が作られる非情報化社会(2019.10.31)
- ■雨男発言と身の丈発言(2019.10.30)
コメント