■「君の生き方」ではなくて「私の生き方」を問いたい
前にも一度書きましたが、朝日新聞で連載されている、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」は、まだ連載が続いています。
その姿勢に大きな疑問を持ちます。
私だけではなく、ある人からは、いじめと無縁の世界の人たちが他人事で説教しているのに腹が立つと言われたので、朝日新聞に投稿しましたが、見事に不採用でした。
そこで少し書き直して、このブログに収録することにします。
この連載コラムで一番気になるのは、問題は、「君」にあるのではなく「私」にあるという視点が欠落していることです。
そう思って読み直してみると、みんな「他人事での発言」になっているように思います。
そもそも「君へ」という発想は、状況を他人事として受け止めている視点です。そこからは「いじめを放置している私」「いじめが広がっている社会の一員である私」という視点は出てこない。それでは、所詮、他人事でしかありません。
悪いのはみんな「君」や「彼」「彼女」と考えてしまえば、社会はなにも変わりません。
そうした姿勢こそが「いじめ問題」を生み出しているのかもしれません。
「いじめ問題」が問いかけていることは、「君の生き方」ではなくて、「私の生き方」ではないか。そして。私たちがつくっている「社会のあり方」ではないか。
社会は、私たち一人ひとりの生き方で変わっていきます。「君」に呼びかける前に、まずは自らの生き方を見直したい。
それがあってこそ社会は変わります。問題は、「君」ではなく「私」なのです。
朝日新聞の見識を疑います。投稿している人たちの見識も、ですが。
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