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2012年9月

2012/09/30

■節子への挽歌1855:名前の霊力

節子
実は昨日、挽歌を書けなかった理由はもう一つあります。

小畑万理さんが企画編集した本を送ってきてくれました。
「地域・施設で死を看取るとき」(明石書店)です。
この本は、小畑さんの深い思い入れがあって実現した本です。
その企画の段階で、私のことも事例として取材させてほしいと言われたのです。
これに関しては前に書いたような気もします。
私には「死を看取る」という意識がまったくなかったので、あまり適切な事例とは思いませんでしたが、小畑さんの思いの深さが伝わってきたので、協力させてもらうことにしたのです。
そして、その本が出来上がり、私のところにも届いたのです。
とても清楚な装丁で、内容もとてもしっかりした書籍に仕上がっていました。
私の話を素材にした物語も取り上げてくれていました。
それを読み出して、思い出しました。
出帆の前に原稿を読ませていただき、ひとつだけ注文したことを。

事実をベースにして編集してくださっていますので、私は仮名で登場しています。
それはいいのですが、どうも読んでいて、落ち着かないので、節子の名前だけは変えないでほしいとお願いしたのです。
私の名前は仮名に変わっています。
ですから、別の名前の人が、節子の夫になっている。
読み出して、それがとても奇妙な感じなのです。

ライターの方がとてもうまくまとめてくださっていますので、内容に違和感があるわけではありません。
むしろ私の不十分な話をとてもうまくまとめてくれています。
にもかかわらず、節子の相手は「修」でない人なのが、とても奇妙に感じるのです。

小畑さんは、こう書いてきました。

奥様の聞き取りをさせていただきながら、
佐藤さんのお気持ちを十分にまとめられなかったような気がします。
それについても、申し訳なく思うばかりです。
そんなことはありません。
私の気持ちは的確に受け止めてもらい、的確に表現してもらっています。
でも、だからこそ、なにやら奇妙な気がするのです。
名前の持つ霊力のようなものを、改めて感じました。

まだその本は、私の部分も含めて、読み終えてはいません。
ちょっと勇気が必要なような気がしています。
どうも私はまだ、現実から逃げているようです。

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■節子への挽歌1854:「寂しがり屋さん」

節子
昨年の6月、「ぷーちゃん」という人が、この挽歌にコメントを投稿してくれました。

昨年の6月27日、最愛の妻を癌で亡くしました。享年43歳でした。同棲していた頃を含めると20年間の共同生活でした。(中略)
どこに住んでいるときも、妻と僕は土日のたびに散歩ばかりしていました。
旅行にもよく行きましたが、旅先でも散歩ばかりしていました。
二人で散歩した距離はどれほどになるでしょう。ちょっと想像がつきません。

いつも挽歌を読ませていただいています。
時には涙を流しながら。

最愛の妻を喪って、僕は壊れてしまったようです。
毎晩、仕事から帰ると、泣きながら酒を飲みます。
(中略)
いまはただ、一日でも早く妻のもとに逝けることだけを望んでいます。

それから時々、コメントをくれるようになりました。
そのぷーちゃん(今はプーちゃんに改称)がブログを始めました。
タイトルは「いつか迎えに来てくれる日まで」です。
昨日、読ませてもらいました。
最初の記事の書き出しは、こうです。
平成22年6月27日、俺のたった一人の家族、最愛のかみさんが亡くなった。
かみさんの名前は「容子」という。
4年間の同棲生活と16年間の結婚生活、合わせて20年間の共同生活だった。
俺とかみさんとの間には、子どもはいなかった。
読んだ途端に、さまざまな思いが湧き上がってきました。
昨日の記事の最後の3行はあまりにも実感できました。
節子と重なってしまいました。
かみさんは俺に抱き締められながら言った。「寂しがり屋さん」。
そしてもう一言。
「私は幸せだよ」、かみさんはそう言った。
それで昨日は自分の挽歌を書けませんでした。

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2012/09/28

■節子への挽歌1853:私にとっての「仕事」

節子
一昨日、パオスの中西さんと食事をしました。
中西さんは、節子も知っていますが、日本のCIプランナーの草分けにして、第一人者です。
私が会社を辞めたのも、中西さんとの出会いが一因になっています。
節子は、そのこともよく知っていますね。

それはともかく、中西さんはいまも能動的に仕事に取り組んでいます。
しかも、その仕事の質にはこだわり続けています。
中西さんの生き方は、私とはかなり違いますが、共感できるところが少なくありません。
私の生き方も、中西さんはよく知ってくれています。
ですから、仕事を一緒にするわけでもないのに、時々、声をかけてくれます。

一昨日は食事をご一緒したのですが、その時に、中西さんがめずらしいことを言いました。
仕事を続けていられることは幸せかもしれないね、というのです。
同窓会などに出て、そう感じたそうです。
たしかに、仕事から離れると今までの輝きがなくなってしまう人は少なくありません。
しかし、仕事にしがみついている人も問題がないわけではありません。
もう引退したほうがいいと思う人は少なくありません。

中西さんは、仕事をすることと生きることが、重なっている人です。
私もそう考えているので、それがよくわかります。
ちなみに、私にとっての「仕事」は、「生きること」とほぼ同義です。
節子も誤解していた時期がありますが、仕事が生きることではなく、生きることが仕事なのです。
もちろんワーカーホリックではありません。
仕事はお金とも無縁です。
中西さんも、たぶんそういう生き方をしてきているはずです。
その中西さんが、仕事を続けていられることは幸せかもしれないと言うのは、私には意外でした。
あまりに「普通」だからです。

別れた後、その言葉が少し気になりました。
なぜ中西さんは、突然、私に電話をかけてきたのでしょうか。
中西さんは私よりも年上です。

昨日の挽歌に、「伴侶を失った場合、社会から引退するのが正しい生き方だと思うことが時々あります」と書いたら、プーちゃんから「僕もまったく同感です」というコメントが届きました。
さて、悩ましい問題です。
そういいながらも、今日もまた2人の人から呼び出されて、湯島に来ています。
これは「仕事」でしょうか。
そのおひとりが、いま帰りました。

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2012/09/27

■節子への挽歌1852:社会との不整合と不安感

節子
またある人が寄付をしてくれました。
最近はほとんど仕事をしていないのですが、時々、こうやって私の活動に寄付をしてくれる人がいます。
感謝しなければいけません。
それが大きな支えになっています。
いずれも、節子と一緒に活動していた頃からの知り合いで、節子も知っている人たちです。
私たちの生き方が受け容れられているようで、元気が出ます。

その一人の方が電話をくれたので、寄付してもらうのはうれしいが、何か私のできることはないですかと質問したら、言下に「ない」と言われてしまいました。
私も経営コンサルタントなので、会社経営の役には立てるはずなのですが。

しかし、その一方で、私の言動が原因で、友人を失っていることもあります。
昨日書いた、官僚批判を読んだ人が昨夜メールをくれました。
その人も官僚なので、気分を害したのでしょう。
たしかに気分を害されてもおかしくない文章を書いたのですから、その非難は甘んじて受けなければいけません。
返事は書きましたが、不快さは元には戻せずに、せっかくのつながりが切れてしまうかもしれません。
こうしたことが時に起きます。
節子がいた頃は、他者を批判する文章を書く時にはチェックしてもらいましたが、それがなくなると暴走しがちです。
困ったものです。

こういうことが起きると、身を縮めたくなるのですが、それはやはり私の生き方ではありません。
体制との不整合は、私の生き方のせいなのです。
それをうまく調整したり、私の精神の安定を保ってくれたりしていた節子がいなくなると、その不整合のひずみを解消できないままでいます。
それが私の最近の不安感の原因かもしれません。

伴侶を失った場合、社会から引退するのが正しい生き方だと思うことが時々あります。
これに関しては、明日、少し書いてみたいと思います。
書けたら、ですが。

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2012/09/26

■節子への挽歌1851:書く自分と読む自分をつなぐ者

節子
今日、電車に乗っていたら、向かいの席に老夫婦が座っていました。
奥さんのほうが、ひっきりなしに夫に向かって話しています。
夫はほとんど話しません。
話の内容はさりげない日常会話です。
次の駅はどこかとか、だれそれはどうだったとか、断片的な話なのですが、ともかく途切れることはなく、私が降りるまでずっと話をしていました。
私は反対側の席でしたが、その途切れることのない一方的な会話に、感激していました。
そうか、人は相手の相槌がなくても話し続けられるものだと思ったのです。
しかし、それはよほどの自信がなければ持続できないかもしれません。
相手が返事をしなくても相手が聴いてくれているという自信です。

電車を降りてから、気がつきました。
この挽歌も同じようなものではないか、と。
節子に語っていますが、いまだかつて、節子からの明確な返事も相槌もありません。
にもかかわらず、私は書き続けています。

特定の人との関係において意味があるのは、会話ではなく、話すことなのかもしれません。
読んでもらうことではなく、書くことかもしれません。
そう考えた時、この挽歌は誰に向かって書いているのだろうかと改めて思いました。
そう考えると、またさらに考えてく視点が開けていきます。
書く自分と読む自分。
書かせる自分と読ませる自分。
そこに、実は節子の影があるのです。

秋になると、人は哲学的になるものです。
ようやく秋が始まりそうです。

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■ニセ医者事件に思うこと

今日はかなりの非難を覚悟で、暴論を書きます。
ニセ医者事件に関連して、です。
昨年も話題になりましたが、医師免許を偽造して健康診断医師として仕事をしていた人が逮捕されました。
そのことに関する暴論です。

こうした事件が起きるたびに、なんでこんなに非難されるのだろうかとつい発言してしまって、娘から注意されています。
娘から、もしかかった医者がニセ医師だったらどうするか、と問われて、結果が悪くなったら運が悪かったと思うだけだとは答えたものの、実のところ、不安になるかもしれないなと思ったりしています。
ですから、我ながら歯切れは悪いのですが、それでも、まあ書いてしまいましょう。
なにしろいつも気になることですので。

私は、お上が認める「資格」にまったく興味がないというか、その意味をあまり理解できない人間です。
私が持っている資格は、自動車運転免許くらいですが、明らかに私は運転がうまくないので、家族からも止めろといわれて、もう10年ほど運転をしていません。
免許を更新するのも、次回はやめようと思っています。
ですから、たぶん資格なるもの者はこれでなくなるでしょう。
そういう資格を何も持たない人間のたわごとかもしれません。

医師免許がなければ医療行為ができないということの意味は、一応、理解しています。
しかし、医師免許なるものがあれば、それで医療行為が正当化されるかということには異論があります。
逆に、医療免許がなくても利用行為はできるだろうと思っています。
医師法で、看護師と医師との権限領域が決まっているようですが、これも全く理解できません。
資格とは専門職者による権益の囲い込みだという人もいますが、私は必ずしもそれには賛成しません。
しかし、百姓的な生き方を理想と考える私としては、人がやれることを制度で決めることには違和感があります。
だから資格にはまったく関心を持たずに、生きてきました。

つい最近、I-phone販売で、下取りをしたソフトバンクが下取り業の免許がないからと指摘され、手続きを変えた事件がありました。
これなども全く馬鹿げた話です。
ともかくこうやって、日本の官僚は権益を守り、民の汗と知恵から利益を取っているわけです。
勝手な掟をつくって、民を収奪していた悪代官の文化はまだしっかりと残っています。

実はこうした仕組みはたくさん残っています。
電力販売規制もそのひとつです。
あげていけばきりがない。
それが日本の官僚の力の拠り所です。
それをまねた仕組みは。文化やスポーツ、宗教など、さまざまなところに広がっています。

話をニセ医師問題に戻せば、医師免許がないのに医療行為をしたことを批判するのも、もしかしたら医師免許というお上のルールを後生大事にする文化のひとつではないかと思うわけです。
たしかに、医師免許を偽造したり、自らを偽ったりしたことは悪いことです。
なぜ悪いかといえば、「秩序」が壊れるからです。
秩序が壊れるのを恐れるのは、お上の側にいる人の発想です。

ニセ医師が広がることに賛成しているわけではありません。
資格詐称も賛成はしません。
しかし、「それはそれとして」、医師免許さえあれば医療行為ができる、あるいは医師免許がなければ医療行為ができない、そのことを当然だと思っている「常識」に、私は異議申し立てしたいと思います。
どうしてみんな、これほどにお上の権威に従順なのでしょうか。
それが私には一番不思議です。

また読者から辛らつなお叱りと非難が届くでしょうね。
書かなければよかったでしょうか。
でもまあ、今はすっきりしました。

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2012/09/25

■節子への挽歌1850:走りすぎたり、止まりすぎたり

節子
動かないと動けなくなります。
意思と行動とどちらが先かについては、面白いテーマですが、最近の研究の成果は、どうも意思より先に行動があると言われてきています。
体験的に私も、そう思います。

このところ、山のように課題が積みあがっています。
そういえば、半年前もこんな状況だったような気もします。
そしてやりすぎて、ダウンしてしまったような気もします。
しかし、やらないと課題はどんどん積もりあがっていきます。
そこで、ようやく動こうと思い出しました。
もちろん動きたくはありません。
静かに涅槃の境地を漂いたいですが、課題を捨てられない限り、それは無理です。
そこで、思い切って、連絡をとらなければいけない人たちに連絡を取り出しました。
取り出すと動かざるを得なくなります。
大阪に行く約束までしてしまいました。
動き出すと不思議なもので、動き出せるようになるばかりか、動きたくなるものなのです。
そして動き出しすぎて、ダウンしてしまう。

節子を見送ってから、実はこの繰り返しです。
走りすぎになったり、止まりすぎになったりしてしまうのです。
要するに、生活のリズムが維持できないわけです。
伴侶を失った人の多くは、たぶん同じ体験をしていることでしょう。

でもまあようやくまた動き出せるようになりました。
動き出すと、これも不思議なのですが、まるでそれを知っていたかのように、交流が途絶えていた人から連絡が入りだします。
そうしたことを何回か体験すると、すべての生命は共鳴しているのではないかとついつい思ってしまいます。

今年の秋のお彼岸も終わりました。

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■泗水町住民の決断

日曜日の朝日新聞にこんな記事が出ていました。

「平成の大合併」をした旧町が再び分離独立しようとする動きが熊本県菊池市で起きている。2005年に当時の菊池市と合併した3町村のうち、旧泗水(しすい)町の住民グループが20日、分離の要望書と住民の半数を超える署名を福村三男市長と市議会議長らに出した。
総務省によると、平成の大合併でできた自治体から分離した例はないそうです。
しかし、もしこれが認められ、泗水町が再び分離されたら、同じような動きが出てこないとは限りません。
いうまでもなく、平成の大合併は国家統治の効率化のために進められたもので、住民の生活向上の視点は希薄でした。
しかも、特別な交付金をちらつかせての、お金まみれの方法で進められました。
そこでどれほど無駄なエネルギーとお金が使われたかは、その作業に関わっていた人なら誰もがわかっていることでしょう。
そして、合併してよかったと思っている住民や自治体職員は決して多くはないでしょう。
むしろ生活面では不便になった人も多いはずです。
にもかかわらず、多くの住民は泣き寝入りしました。
泣き寝入りというよりも、事実を知らされていなかったといってもいいでしょう。
私は自治体分割論者ですので、その動きには与し得ず、当時やっていた自治体の仕事も基本的には止めました。

私は以前、いくつかの自治体の仕事をさせてもらいましたが、その時に感じたのは、いわゆる小学校区、人口にすれば6000人くらいでしょうか、そのくらいの規模だと顔の見える自治が行えるだろうということでした。
ただそれが閉じられるのではなく、近隣につながり、世界に開けていくのがいいと感じました。
また、数年前に自治会長をやらせてもらいましたが、その時に改めて、いわゆる基礎自治体というのが、生活的にはつながってこないと感じました。
1970年代の自治省によるコミュニティ政策も、私には違和感があります。
私がいう組織パラダイムの典型です。

自治は、団体自治と住民自治があります。
そろそろ軸足を住民自治に移す時です。
住民自治に移せば、国家財政も自治体財政も状況は一変するでしょう。
ただ、そこに寄生する企業の利益は減るでしょうが。

最近、小熊英二さんの「社会を変えるには」(講談社現代新書)で、次の文章に出会って、驚きました。

復興・復旧事業の多くは、従来から公共事業に強かった、東京などに本社のある大手ゼネコンが請負いました。阪神大震災後の5年間で被災地に投じられた復興事業費のうち、約9割はこうして被災地の域外に流出したと見積られています。
自治のパラダイムを変えないと、この繰り返しです。
動機はともかく、泗水町住民の決断と行動にエールを送りたいです。
他のところも旗をあげてほしいです。
ちなみに、私の住んでいる我孫子市は平成の大合併には加わりませんでした。

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2012/09/24

■大拙さんの知恵「それはそれとして」

昨夜、NHKテレビで「領土問題」をテーマにした日韓の識者の話し合い番組をやっていました。
私は、竹島問題の部分だけ見ましたが、そこで知ったことがあります。

韓国では最近、テレビ放送の最後などに竹島の映像を流しているそうです。
日本では富士山を流しているのに相当するようです。
つまり、韓国にとって竹島は、日本による侵略の象徴なのだそうです。
日本の侵略が竹島から始まったからです。
番組に出演されていた神戸大学の木村幹教授と韓国の出演者が話してくれました。
韓国にとって、竹島は日本における富士山と同じような意味を持つということを、私は全く知りませんでした。

それを聴いていて、同じ日の朝、テレビで見たばかりの鈴木大拙さんの話を思い出しました。
大拙さんの秘書的な役割を長年されてきた岡村美穂子さん(鈴木大拙館名誉館長)が語っていた言葉です。
鈴木大拙さんのところには、さまざまな人たちが相談に来たそうです。
大拙さんは、双方の意見を十分に聞いた上で、「それはそれとして」としてと言って、話し出すことが多かったそうです。
お互いの「分別」をきちんと踏まえた上で、「それはそれとして」と次元を変えて、前に向かって進むことを促したわけです。

昨日の話し合いも、日韓いずれもが、過去は過去としてこれからどうするかが大切だと、言葉としては話していました。
しかし、その一方で、実際には「それはそれとして」ではなく、「それ」にこだわっているのがはっきりと伝わってきました。
櫻井よしこさんは、その姿勢が特に強かったのが印象的でした。
分別が邪魔をして、みんな「それはそれとして」にはなれないのです。
知識の弊害を、改めて教えられました。

領土問題は、利害関係者の双方の認識の上に成り立ちます。
民主党政府は、竹島にも尖閣諸島にも領土問題はないと言っていますが、そんなことはありえません。
領土問題は、一方が疑問を持つ限り、存在します。
「領土問題はない」という独りよがりの認識こそが、最大の問題なのです。
歴史事実をいくら重ねても、一方の正当性を証明する事は無理でしょう。
領土問題を論理的に解決するのは、戦争による決着か、一方的な放棄しかありません。
しかし、そのいずれも、おそらく本当の解決にはなりません。
だとしたら、「それはそれとして」という大拙さんの視点こそが有効ではないかと思います。

大拙さんのような、知恵者がでてこないものでしょうか。
「それはそれとして」。
実に平和な言葉です。
私も早く、その言葉が素直に言える心境に達したいものです。

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■節子への挽歌1849:生きるとは自らを愛すること

節子
この歳になって、いささか気恥ずかしいですが、今日は「愛」の話です。

人はみな自分を愛しています。
それが「生命の本質」だからです。
もし自らを愛していない生命がいたら、決してその生命は持続できないでしょう。
生きるとは自らを愛すること、と言ってもいいでしょう。

誰かを愛するということは、愛する対象を自分から誰かに移すことではないかと、最近思えるようになりました。
自分への愛を残しているような愛もあるでしょうが、人を愛するということは、愛する対象が変わることなのではないかと思います。
言い換えれば、自らを無にすることです。
あるいは愛する対象に自らを委ねることです。

委ねてしまうとどうなるか。
自分がなくなってしまうわけです。
では、自分がないのに、他者を愛することができるのか。
愛する主体がなくなれば、愛するという行為もなくなるのではないか。
そこが悩ましいところなのですが、最近、その答が見つかりました。
自分がなくなるのではなく、自分が愛する対象と一体化してしまうのです。
そう考えると、すっきりします。
自らを愛するという生命の本質に合致するからです。
ですから、愛するとは自らを他者に合体させると言うことになります。

自らと他者との境界がなくなって、大きな意味で同一の存在になる。
もしそれが愛であれば、愛こそが人生を平安にし、世界を平和にしてくれるでしょう。
それは、不死にもつながります。

愛した存在がなくなったらどうなるか。
これも考えやすくなります。
愛の存在は、実はなくならないのです。
他者である妻を愛することができれば、ほかの他者も愛することができるはずです。
それは特定の存在に執着する愛ではありません。
生命を、さらには存在を、すべてそのまま受け容れ、自らとの境界をなくすことです。

執着する愛から、執着から解放された愛へ。
昨日、NHKの「こころの時代」で、鈴木大拙さんの話が取り上げられていました。
それを見ながら、行き着いたのが、その番組とはあまり関係ないのですが、この考えでした。
これまでどうも退屈だった大拙さんの話が、突然に理解できたような気になってきました。
改めて読み直してみようと思います。

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■「優勝より正しい生き方」

昨日の大相撲千秋楽最後の日馬富士と白鵬との1番はすごい迫力でした。
勝ったのは日馬富士でしたが、白鵬も見事でした。

今朝の新聞に、日馬富士の話が出ていました。
「父が喜ぶのは優勝より正しい生き方をすること。それを胸に刻んでいる」。
すごく気持ちの良い言葉です。
負けた白鵬の言葉もいいです。
「悔いはない」と言った後に、「体は小さいけれど、気持ちが大きい」と日馬富士を讃えていました。
久しぶりにスポーツのすがすがしさを感じました。
「勝つことよりも正しい生き方」。
オリンピック選手たちに聞かせたい言葉です。
いや、オリンピック選手だけではありません。
すべての人に聞かせたい。
もちろん私も含めてです。

日馬富士のように、まっすぐ生きようと、改めて思いました。
日馬富士と白鵬に感謝しています。

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2012/09/23

■節子への挽歌1848:意味の反転

節子
季節の変わり目は、やはり少しだけ感傷的になります。
節子がいた頃には、季節の変わり目はむしろ生活の節目になって、前に進む契機になっていましたが、いまは逆に進む力を吸い込むような落し穴のような気がします。
なぜか「気が起きない」のです。

節子がいた時といなくなってからでは、物事の意味が反転したことはたくさんあります。
前であれば、幸せな気分になった事が、いまは心に寒い風を呼び込むことさえあります。
意味や価値を共有する人がいないだけで、こんなにも世界の風景は違うのかと、自分ながら不思議なのですが、それが事実なのだから仕方がありません。

秋は、節子の好きな季節でした。
紅葉狩りに、よく付き合わされました。
最後の年には、伊香保で見事な紅葉を見たような気がします。
素晴らしい日本海の落日を見たのも、秋でした。
しかしもはや、紅葉も落日も、美味しい果物も、私を幸せにはしません。
秋は、ただただ、さびしい季節になってしまいました。
節子が好きだった季節を、一緒に楽しめないことはさびしいことです。
自分ひとりでは、楽しめないのです。
美しい風景を見れば見るほど、さびしくなる。
これは何回も体験したことです。

美しい風景を見て、涙が流れるようになったのは、節子がいなくなってからです。
感動が涙につながりやすくなったのも、節子のせいかもしれません。
ようやく精神的に安定したかなと、最近、思い出していたのですが、秋の到来は、その自信を見事に打ち砕いてくれました。

人を愛するということは、実に哀しく、実に悩ましい。
執着と煩悩から、抜け出せずにいる自分が、時にいやになります。
節子のことがなければ、私はかなり解脱していると思えるようになってきているのですが、愛への執着はなかなか超えられません。

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■汚されてしまった千秋楽の勝負

今場所の日馬富士は見事です。
昨日の14勝で、もう横綱は確実と思っていたのですが、横綱昇進に向けた審判部からの臨時理事会の開催要請に対し、北の湖理事長が「今日の一番が終わってからにしよう」と述べたために、横綱審議委員会への昇進の諮問は今日の取り組みを見てからになったようです。
その記事を読んで、とても不愉快な気持ちになりました。
また、あの北の湖理事長かと思ったのです。
最近は素直に相撲を見る事ができるようになっていたのですが、やはり相撲界のトップは変わっていないようです。
私は、北の湖理事長の顔を見たくないので、出てきたらチャンネルを変えるほどです。

この発言は、日馬富士には大きな心理的な影響を与えることになったでしょう。
これで今日の千秋楽の勝負は、汚されてしまった気がします。
実に残念です。
もし日本人力士だったら、北の湖理事長は同じ行動を取ったかどうかが気になります。

間もなく千秋楽の勝負が始まりますが、なんだか素直には見る気がしなくなりました。
もっともこれは、私の思いすぎかもしれません。
しかし、ともかく先の事件の時に、責任を取らなかった北の湖理事長が生理的にもう受け容れられないのです。
誠実な勝負の世界にいるべき人ではありません。

責任を取らなかった人が、トップに立つことが私は一番許せません。
だから、安倍さんが自民党の総裁に立つことも生理的に理解できませんし、輿石さんが幹事長を継続するなどはまったく理解できません。

小沢さんはどうかと言われそうですが、そこは悩ましいですね。
責任とは一体なんなのか。
責任を忘れてしまっては、生きる意味さえないと私は思っています。
すみにくい時代です。

ちなみに私は、白鵬に勝ってほしいと思っていましたが、いまは微妙です。

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■節子への挽歌1847:急に肌寒くなりました

昨日はお彼岸の中日だったのでお墓参りに行きました。
お墓はにぎわっていました。
気のせいかもしれませんが、昨年から年々にぎわっているような気がします。
時間帯によるのかもしれませんが。

その一方で、節子も知っている、わが家のお墓の隣にいつも来ていたおばあさんは、この数年、出会うことがなくなりました。
お墓は新しくなっていないので、最近は出歩けなくなっているのかもしれません。
近くにある、節子の友人だった東さんのお墓は、いまもいつも新しい花が供えられています。
東さんはお墓参りに来た時には、節子のお墓にも立ち寄ってくれていると言っていましたので、私もお墓の花を枯らさないようにしないといけませんが、夏は熱いので2日しかもちません。
それで造花にしていましたが、そろそろ生花でも大丈夫そうです。
そうなると、毎週行かないといけません。

実は毎週お墓参りに行くと決めていたのですが、最近は隔週になってしまっています。
困ったものですが、まあ、そこは融通無碍な節子は、気にもしていないでしょう。

お墓参りに行って、節子は家の位牌壇にいるのに、なぜわざわざここに来るのだろうかと思うこともあります。
実は私はお墓参りに行く時には、節子の位牌壇に、さて一緒に墓参りに行こうかと呼びかけたりしているのです。
考えてみるとおかしな話ですが、何やらそれが一番すっきりするのです。

彼岸を過ぎたら、急に肌寒くなりました。
昨日はお墓から帰ってから、疲れがどっとでてしまい、テレビばかり見ていました。
気温の急激な変化のせいかもしれません。
そのせいか、わが家のチビ太くんもくしゃみをしだしたので、お医者さんに行きました。
心配ないそうですが、彼はもう17歳。人間年齢では100歳を超えたそうです。
最近は寝たきりで、介護が大変です。

節子
此岸での生活は変化がありすぎて、疲れます。
あなたがうらやましい。

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2012/09/22

■「ある心臓外科医の裁判―医療訴訟の教訓」

友人の弁護士の大川真郎さんが3冊目の本を出版しました。
1冊目の「豊島産業廃棄物不法投棄事件」は環境問題。
2冊目は、まさに本業の「司法改革」。そして今回は医療訴訟の問題です。

題材は平成11年に起こった近畿大学付属病院での心臓手術による死亡事件です。
同病院の心臓外科部長だった奥秀喬教授が執刀した患者が、術後、死亡したのですが、遺族から奥教授が訴えられた事件です。
それをマスコミは真実を確かめることなく、大きく取り上げました。
特に「アサヒ芸能」は、告発キャンペーン「『医者』に殺される」シリーズを組み、「メスを凶器にした心臓外科教授を妻が断罪!」などと書きたてました。
新聞も、ほぼ同じように奥教授の医療過誤と患者無視の報道をしていたように思います。
当時、その記事を読んだ私も、憤りを感じたのを覚えています。

しかし本書を読んで、報道と事実とは全く違っていたことを知りました。
たしかに医療過誤はあり、そのため近畿大学付属病院は慰謝料を支払いましたが、被告となった奥教授に関する嫌疑は裁判でほぼ晴れたのです。
遺族も、そうしたことがわかって、奥教授への控訴を取り下げています。

しかし、奥教授は単に訴えられてだけではなく、事実を明確にするために、いくつかの訴訟を自らも起こしました。
マスコミ、窓口となった主治医、遺族代理人弁護士を告訴したのです。
ほかにも奥教授を追い落とそうとする同業医師との闘いもありました。
それらに対して、すべて正面から闘ったのです。
そのおかげで、改めて医療訴訟や医療の実態が見えてきます。
本書はその記録です。

裁判には勝ったものの、奥教授とその家族の生活は無残にも打ち壊されました。
心臓外科医として評判の高かった奥教授の医療行為も、その後は行われることはありませんでした。社会的にも大きな損失と言うべきでしょう。
裁判が終わった後に、奥教授は『虚構の嵐』という私家本を出版していますが、そこで彼が伝えたかったのは、「巨大組織の権力の前では、一個人が如何に脆弱な存在であるか」ということだったようです。
大川さんは、本件の背後に山崎豊子の名著『白い巨塔』のごとき背景のあったことをうかがわせる、と書いています。

実は、大川さんは奥教授と郷里が同じです。
そのせいか、第三者の私からみれば被告への思い入れを少し感じます。
しかし、大川さんは被告の名誉挽回のために本書を書いたわけではありません。
「奥の闘いは、世に知らせる価値のあるものだという確信」が、大川さんに本書を書かせた理由です。
そのことには私も共感します。
本書の最後に、大川さんは「この事件の教訓」として、医師、マスコミ、病院、弁護士と項目を分けて、教訓をまとめています。
そこには、これからの医療や医療訴訟を考えるためのさまざまな示唆が示されています。

医療訴訟は、医療の世界の現状を象徴しています。
医療訴訟の視点から、医療改革を考えていけば、たぶんいまとは違った医療改革が実現できるはずです。
このことは医療に限りません。
大川さんが前著で取り上げた「司法改革」にも言えることです。
司法改革もまた、「冤罪」や「司法不信」や「司法訴訟」(そんな言葉はないでしょうが)の視点から考える必要があるでしょう。
本書は、「改革」というものに取り組む視座を与えてくれます。

本書を読んで感じたことはもう一つあります。
大川さんは、あとがきで『奥は、決して「一個人として脆弱」ではなかった。さまざまな苦境を乗り越え、見事な闘いをした』と書いています。
「巨大組織の権力の前では一個人は脆弱な存在」だとしても、無力ではない。闘うことができるのだということを、奥教授は実践をもって示してくれています。
私が、一番考えさせられたのはそのことです。

とても考えさせられる本です。
できれば一度、本書を読んだ人たちで、医療訴訟についての話し合いの場を持ちたいと思っています。
ご関心のある方はご連絡ください。


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2012/09/21

■節子への挽歌1846:節子のいない外食

節子
最近わが家の近くに回転寿司が増えています。
しかも100円回転寿司なのです。
今週もすぐ近くに「はま寿司」が開店しました。
娘たちが今日はみんないたので、行ってみました。
開店間際のためか、賑わっていました。

わが家はみんな小食なので、回転寿司に行ってもあまり食べられません。
あまりに少ないとお店に申し訳ないので、それなりにがんばるのですが、100円寿司だとがんばっても3人で2000円にも達しないことも少なくありません。
あまりに少ないとちょっと気が引けてしまいます。

しかし、節子が病気になった後は、もっと大変でした。
胃を摘出してしまった節子は、お寿司に限らず1食分はとても食べられません。
節子はよくテイクアウトさせてもらっていました。
食べられない節子が、それでも新しいお店を探してきては、家族を連れて行ってくれました。
そのころのことが、とても懐かしく、その思い出を感じたいが故に、私は娘たちとの外食を最近増やしています。
節子はいませんが、なんだか節子を感じるのです。

まだまだ節子離れできないでいます。
なんで、でしょうか。
困ったものです。
最近、それが不思議でなりません。
節子の呪縛はいつ解けるのでしょうか。

明日は秋の彼岸の中日。
お墓参りに行くつもりです。

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■政権交代へのトロイの木馬

一昨年公開された「フェアゲーム」という映画があります。
日本にも報じられたことのあるプレイム事件を題材にした映画です。
プレイム事件というのは、イラクのフセインが大量破壊兵器を保有しているという情報を、それが虚偽であることを十分に承知した上で、チェイニー副大統領が国民に流し、イラク戦争を正当化していると批判した元外交官ジョゼフ・ウィルソンの妻がCIAのエージェントであることをチェイニーの補佐官がマスコミに漏洩した事件です。
それによって、ウィルソンは不信を買い、妻も職を追われました。
日本でも大きく報道されたのでご記憶の方もあると思いますが、権力者はみずからの虚偽を守るためには身内もコラテラルダメッジの対象にすることを如実に示した事件でした。
ウィルソンの妻の旧姓がプレイムだったので、プレイム事件と言われています。

アメリカでは、こうした政府の不正が、きちんと裁かれる仕組みと文化があります。
まあそれも「許される範囲」でのことですが、それを可能にしているのは「政権交代」の存在のような気がします。
しかし残念ながら日本では、政権交代は幻だったようです。
いま行われている民主党や自民党の代表選挙での発言を聞いていると、野田首相はまさに自民党権力(自民党ではありません)が送り込んだトロイの木馬だったことがわかります。
しっかりした日本語さえ話せない彼が、首相になれたのは、思考力と想像力がなかったおかげでしょう。
政権交代の仕組みはこうして、野田首相によって白紙にされたわけですが、それを告発する仕組みは日本にはありません。
長年の自民党独裁体制の構築した文化は、そう簡単には変わらないのでしょう。

今日は、民主党の代表選です。
まもなく誰が代表になるか決まるのでしょうが、野田さんが選ばれるとマスコミは決めています。
私は、そうなってほしくはありませんし、まだ希望は捨てていませんが、その一方で、誰がなっても変わらないという思いもあります。
しかし、そういう思いこそが、現状を支える最大のパワーになるのでしょう。
そう思ってはいけません。
4人のなかでは、私には最もまともに見える原口さんが選ばれることを念じます。
せめて会話のできる人に代表になってほしいです。

政権交代は、政治を浄化するためには不可欠な仕組みです。
それを壊してしまった野田政府を支える面々は、私には忘れようがありません。
政権交代の仕組みのない民主政治体制は、欠陥品でしかありません。

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2012/09/20

■節子への挽歌1845:マントラの効用

節子
最近ちょっと朝の勤めをおろそかにしています。
般若心経をぜんぶ唱えるのではなく、最後のエッセンスの
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
だけですませてしまうわけです。
「ぎゃていぎゃていはらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」
と読みます。
実はこの正確な意味は必ずしもわかっていないようですが、一応、次のような意味とされています。
「煩悩の此岸を去って,完全に彼岸に到達せし者よ。悟りあれ,幸あれかし」
つまり、死者に対しては悟りを得たねと讃え、此岸にいる自らには、悟りの彼岸に近づけと諭しているわけです。

これは、いわゆる「真言」、マントラですが、この真言は宗派を超えています。
言葉は魂に暗示をかけますが、毎日、このマントラを唱えていると、いつしか自らも彼岸に近づいたような気になります。
もし唱えたことのない人がいたら、ぜひ試してください。
1か月も毎朝、唱えていると、どこか不思議なあったかさに包まれるかもしれません。

キリスト教の場合は「アーメン」が、ナチズムの場合は「ハイルヒトラー」がマントラです。
アーメンとハイルヒトラーを並べると不謹慎と思われそうですが、だれもが組織行動を取ろうとする時には、こうしたマントラが支えになります。

私には、もう一つ、マントラがあります。
それは言うまでもなく、「節子」です。
挽歌を書こうとパソコンの前に座り、まずなにも考えずに「節子」と入力します。
そうすると不思議と書くことが浮かんできます。

話がそれてしまいましたが、毎朝の勤めを簡略版にしてしまっているためか、時々、全文を唱えようと思うとつかえてしまうことがあるようになってしまいました。
お勤めは、毎日きちんとしなければいけません。
そうしないとマントラの効用も消えてしまいかねません。
明日からまた、きちんと般若心経を唱えることにしましょう。
それは、生活のリズムの崩れを正すことにもなるでしょうから。

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2012/09/19

■節子への挽歌1844:夢に節子が出てきました

昨日、節子の夢を見たと最後に書きました。
今日はそのことを書きます。

最近、よく夢を見ます。
正確に言えば、夢を見ながら起きることが多いということです。
しかし、実は節子が出てくることは少ないのです。
どういう夢が多いかといえば、私が何かを伝えたくて話している夢が多いのです。
目覚めた時に、我ながらすごい発見だと思うこともありますが、しかしなぜか10分も経つと忘れてしまいます。

そんな夢が続いていたのですが、昨日の明け方、夢に突然に節子が出てきたのです。
場所は我孫子駅の階段です。
階段を登っているとしたから節子が呼び止めたのです。
そして登ってきた。
そこからがとてもめずらしい夢だったのです。

節子の夢は、以前よく見ました。
しかし、前にも書いたかもしれませんが、夢に出てくる節子の姿ははっきりしていないことがほとんどです。
姿かたちがないにもかかわらず、はっきりと節子を感ずるのです。
ところが昨日の夢は、姿どころか、着ている服装まではっきりとしていました。
見覚えのない青色と緑を基調としたレース状のサマーセーターでした。
こういうことは私の体験ではめずらしいのです。
私の夢はほとんどの場合、モノクロなのです。
顔もよく見えました。
「あの節子」でした。
しかも声さえ聞えました。
「携帯をなくして連絡がつかなかったの、ごめんなさい」というような内容だったと思います。
ところが、実に残念なことに、そこでわが家のチビ太の鳴き声で目が覚めてしまったのです。
それであわてて階下に降りて、チビ太の世話をしているうちに、夢のことをすっかり忘れてしまい、夜になって思い出したというわけです。

まるで死んだことを忘れているように、屈託の無い、とても明るい節子でした。
連絡せずにごめんね、という気持ちが伝わってきて、なんだかとても救われた気分になったような気がします。
前後のない、たったワンカットだけの夢だったのですが、いま思い出しても、なんとなく幸せになるようなワンカットでした。
ですから、昨夜、挽歌を書いてから、今夜もぜひあの夢の続きを見ることができるようにと念じて、眠りにつきました。
しかし、昨夜見た夢は、どこかで若い人たちに向けて、何かを訴えている夢でした。
節子は出てきませんでした。
念じ方が不足していたのでしょうか。

それにしても、なんであんなに元気で屈託のない節子だったのでしょうか、
今もまだ、その姿が目にはっきりと浮かびます。
夢とは、本当に不思議です。

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■政府の「安全宣言」と工場の「安全宣言」

オスプレイ安全宣言が出されるそうです。
そういえば、原発安全宣言も出されました。
野田政権はどうも「安全宣言」が得意のようです。

私が知っている「安全宣言」は、工場などで出されるもので、「みんなで安全に留意しよう」というものですが、最近の政府の安全宣言は、「安全を保証する」もののようです。
安全であるものに「安全宣言」は不要ですから、安全宣言を出すということは安全でないことを示していることはいうまでもありません。
最近の政府の「安全宣言」は、実際には安全ではないものを安全とごまかす政治手法ですが、その危険性は「原発安全神話」で、私たちは痛いほど学んだはずです。
にもかかわらず、野田首相は「安全宣言」が好きです。

安全宣言によって、安全でないものに対する注意がかき消されるわけですから、工場現場などでの安全宣言とは正反対の効果を発揮します。
つまり工場現場の安全宣言は安全への意識を高めますが、政府の政治的安全宣言は安全への意識を消してしまうのです。

工場の安全宣言は、自分たちで安全を守ろうという宣言です。
政府の安全宣言は、他者を説得するための宣言です。
また、前者は「安全を目指そう」ですが、後者は「安全だ」という意味合いです。
同じ「安全宣言」でもまったく意味合いは違うのです。

そもそも「安全だ」などと保証できるものは、この世には存在しません。
「安全です」と言い切るのは、安全でないモノやサービスを売りたがっている人か、むりやり自らの意向を押し付けようとしている権力者以外にはいません。
つまり、そこでは「安全」という言葉が実態隠しのために利用されているのです。

経済行為の場合は、しかし、安全と言われても、それを判断するのは購入者です。
安全と言われても、自分で納得できなければ買わなければいいのです。
しかし政府の安全宣言は、全く違います。
仮に安全を納得できなくても、原発が動き出したり、オスプレイが飛行しだしたりしたら、その危険から抜け出す事は極めて難しいでしょう。
そして、万一、危険が現実のものになっても、責任を取るのは個人ではありません。
野田首相は、原発事故にもオスプレイ事故にもたぶん何の責任も取らないでしょう。
彼は当事者ではないからです。
彼は政府機関というシステムの歯車でしかありません。
ちなみに「政治生命」などと言うのは、本人には意味があるかもしれませんが、他者には何の意味もありません。
「政治生命を賭けて」などとまじめな顔で話している人を見ると滑稽でしかありません。
責任をとるのは、その決定を押し付けられた国民です。
福島原発事故に、中曽根元首相がなにか責任をとったでしょうか。
やりきれない気持ちです。

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2012/09/18

■節子への挽歌1843:記憶があるのに記録がない

節子
テレビで琵琶湖湖西線を走る番組をやっていました。
何気なく見ていたら、懐かしい風景がたくさん出てきました。
そのうちに、堅田の浮御堂がでてきました。
節子と一緒に行ったのはいつだったでしょうか。
節子はもう発病していましたが、その時は元気でした。
2人で浮御堂から懐かしい琵琶湖の対岸を見ていたことを思い出します。
対岸は、私たちが出会った大津なのです。

いつ行ったかを思い出したくて、私のホームページの週間記録を探しました。
ところがいろいろと検索しても出てこないのです。
写真を撮ったことを思い出して、パソコンに取り組んでいる写真アルバムを探してみました。
やはり出てきません。
夢だったのでしょうか。
そんなはずはありません。

実は、こういうことが前にも一度ありました。
節子と一緒に行ったはずなのに、そして記録も残し写真もあるはずなのに、見つからないのです。
もしかしたら、私の記憶が間違っているのでしょうか。
それとも、節子が一緒に持ち去ってしまったのでしょうか。
浮御堂にはたしか観音菩薩が祀られ、そのまわりに千体の小さな菩薩が囲んでいた記憶がありますが、これも記憶違いかもしれません。
そんなことを考えていたら、たしかあの時に、浮御堂で何かとても大切なことを話していたような気がしてきました。
しかし、それも思い出せそうで思い出せません。

湖西線は近江塩津で北陸線に接続し、テレビの番組はそこから敦賀へと向かっていました。
敦賀駅は節子と毎年何回かは利用していました。
この数年、行ってはいませんが、当時のままでした。
懐かしい風景です。
この駅にもいろいろな思い出があります。
もちろん敦賀のまちには、山のような思い出があります。
いやあるはずです。
しかし、節子がいないせいか、なかなか思い出せません。

思い出があるのに、記録がない。
思い出があるはずなのに、思い出せない。
何かとても不思議な気持ちです。

ところで、いま思い出したことがあります。
そういえば、今朝の明け方、節子の夢を見ました。
今日はそのことを書くつもりだったのです。
すっかり忘れていました。
でも、その夢を見たのは今朝でしたでしょうか。
記憶というのは実にあいまいで、危ういものです。
いや現実そのものも、そうなのかもしれません。

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2012/09/17

■節子への挽歌1842:5年前の節子と今の節子

今日また娘のユカから言われました。
お父さんの節子像は、どんどん変わっていると。
一言で言えば、自分に都合の良いように節子像を変えてきていると言うのです。

たとえば、あることで娘と意見が異なってしまう場合があります。
その時に、私は、節子だったら私に賛成するだろうな、と言ってしまいます。
事実、そう思っているからです。
しかし、ユカは、お母さんだったら自分に賛成すると言うのです。
そういわれて、考えてみると、娘の言うほうが正しいような気がします。

結婚した当時、節子と私は考え方が大きく違っていました。
一緒に暮らすうちに、お互いに歩み寄り、考え方が似てきました。
毎日一緒に、しかも仲良く暮らしていれば、それは当然のことでしょう。
考えも仕草も、嗜好も感性も、次第に重なってくるのです。

しかし、節子がいなくなってからも、私たちはさらに考えを重ねてきているわけです。
つまり、節子は私の心や脳の中では、いまだ成長を続けているのです。
ですから、ユカが言うのも正しいでしょうが、私もまた正しいわけです。
5年前の節子といまの節子は違うのです。
娘たちは5年前の節子と付き会っていますが、私は今の節子と付き合っているわけです。
今日、そのことに気づきました。
それに気づいたら、なんだかちょっと心が和らぎました。

節子も私も、まだまだ成長できそうです。
時間軸を取り戻せるかもしれません。

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■理念の政治か調整の政治か

自民党総裁と民主党代表がだれになるかで、候補者が盛んにテレビで発言しています。
それを聞いていると、それぞれの候補者の政治観が見えてきます。
そして、聞けば聞くほど、私は政治への関心が失せていきます。
まるで学級委員長を選ぶような気がするからです。
日本の首相は毎年変わるといわれますが、このレベルであれば、毎学期変わったほうが良いようにも思います。

アリストテレスは、政治は善い社会を目指すためのものと考えました。
善い社会を目指すためには、理念が必要です。
それが明確でなければ、善いかどうかを評価する基準がつくれないからです。
したがって、理念を基本とする政治といってもいいでしょう。
ではいまの9人の人が語っている言葉の中に理念はあるでしょうか。

原発ゼロは理念かもしれません。
自民党の5人は、実現可能性を明確にせずに、原発ゼロを言うのはおかしいといいます。
しかし、理念を目指す政治とは、まずは理念からスタートします。
実現可能な政策を選ぶのではなく、理念を実現するための政策を考えるのです。
その意味で、自民党の5人は理念志向ではありません。

では原発ゼロを目指すことを匂わせている民主党の4人はどうか、
彼らの言葉には、なぜ原発ゼロかが全くと言っていいほど語られていません。
現に彼らは、原発再稼動や原発輸出を推敲している政府与党の幹部ですから、理念からではなく、世論への迎合からの原発ゼロ論でしかありません。
彼らにも理念は感じられません。

石破さんや安倍さんのように、戦争が出来る国家を目指すと言うのは理念と言えるでしょうか。
戦争放棄は理念ですが、再軍備は理念ではありません。
そのふたつは同じ次元の話ではないからです。
これに関しては、これまでも書いてきたので省略します。

民主党の争点のひとつはTPPですが、本来、TPPは理念から語られるべきテーマです。
しかし、4人で語り合っているTPP論は、理念とは全く別の次元です。
結局、民主党の4人も理念から政治を発想していないように思います。

1960年代以降、「善い社会」の理念を語った首相は、鳩山由紀夫さんだけです。
いうまでもなく「友愛社会」です。
しかし、取り巻きの政治家はみんな理念には関心なく、現実を基本にした調整の政治家でした。
そして国民もまた、理念を求めてはいませんでした。
理念よりも目先の問題解決が、多くの人たちの関心事でした。
ですから見事に鳩山さんは挫折しました。
なんともまあさびしい社会になってしまいました。

理念を目指さないのであれば、世論に迎合し、アメリカに迎合していけばいいでしょう。
そして、それならば、学級委員長方式で学期ごとに首相を変えればいいでしょう。
総理になるかも知れない9人の人たちの発言を聞いていると、いささか暗澹たる気持ちになりますが、学級委員長選びだと思えば、気も楽になります。
しかし、学級委員長を手玉に取るのは、官僚の得意とするところでしょう。
そして官僚は、何も決まらずに問題が山積していくことを望むものです。
それが近代のパラダイムなのですから。

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■節子への挽歌1841:長寿への不安

節子
今日は敬老の日です。
節子は、敬老の日に祝ってもらうことなく、逝ってしまいましたが、私はその歳になってしまいました。
もっとも、だからといって、娘たちからも友人たちからも敬われてはいないのですが。

先日の新聞報道では、日本では100歳を超えた人が5万人を超えたそうです。
高齢になっても元気な人が、幸せなのかどうか、私にはわかりませんが、少なくとも2人そろってお元気な夫婦を見ると、なんとなく自分も幸せな気になります。
しかし、一人で長寿を迎えた場合はどうでしょうか。

私には、死への恐怖感はあまりありません。
本などで「だれもが死への恐怖を抱いている」というような文章に出会うと、とても違和感があります。
そもそも「死」は実感できませんから、恐怖感を持ちようもないのです。
死と直面したはずの節子も、死への恐怖はなかったように思います。
もちろん「生きつづけたい」という思いは強くありましたし、「次の誕生日は迎えられるかなあ」とさびしそうに私に言ったことはありますが、たぶん「恐怖」というようなものではなかったように思います。
少なくとも、私はそう思いたいです。

ところで私ですが、死への恐怖はないのですが、長寿への恐怖はあります。
節子が先に逝ってしまったことで、すでに長生きの恐ろしさをすでに実感していますが、節子がいないまま、これからあと何年生きつづけるかと思うととても不安になります。
いまは娘たちがよくしてくれますし、友人たちにも恵まれています。
しかし、最近は彼岸に旅立つ友人も少なくありません。
私より若い人たちも少なくありません。

この頃、時々、私だけが取り残されるのではないかとふと思うことがあるのです。
それほど恐ろしいことはありません。
願わくば、私自身は長寿でないことを祈ります。
もうすでに長寿だと言われそうですが、兄よりは先に逝くわけにはいきません。
私が恐れている恐怖を、他者に与えることはできないからです。
長寿者がテレビで報道されるたびに、私は思います。
本当に幸せなのだろうかと。

敬老の日は残酷な祭日です。
老人を敬う気のない人がきっと考案したのでしょう。

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2012/09/16

■節子への挽歌1840:岡山のぶどう

節子
岡山の友澤さんからぶどうが届きました。
友澤さんご夫妻も、お元気そうです。
電話をしようかと思ったのですが、手紙を書くことにしました。

節子の友だちから、今も贈り物が届けられます。
5年経ってもまだ節子を思い出していてくれることはうれしいことです。
でも私は、実はお礼の電話も手紙も苦手なのです。

節子がいた時には、誰かから贈り物をもらっても、いつも節子に礼状を書いてくれないかと頼みました。
節子は、私と違って、パソコンでは手紙は書きませんでした。
パソコンの手紙は手紙ではないといつも言っていました。
その上、ていねいに下書きまでして、私に読み聞かせ、これでいいかと念を押してから清書していました。
そういうところは、節子は実にていねいでした。
節子は、手紙を書くのも好きだったのです。

節子がいなくなった後、数人の人が、節子が送った手紙を送り返してきてくれました。
私への心遣いです。
しかし、これはけっこう辛いものがあるのです。
私が初めて見る手紙もありましたが、節子はいつも手紙を出す時に、私にも見せてくれていたので、だいたいにおいて内容には見覚えがありました。
過去を思い出すのは、うれしいだけではないのです。

岡山の友澤さんは、節子がヨーロッパに一緒に旅行した仲間です。
私も何回かお会いしましたし、節子のお見舞いや献花に、わが家にも2回ほどご夫妻で来てくれました。
私たちよりも年長で、節子はとてもよくしてもらっていました。
5年前、友澤さんは、闘病中の節子に岡山の美味しい巨峰ぶどうを食べさせたくて頼んでいたのに、節子はそれが届く前に逝ってしまったのです。
以来、毎年、友澤さんはぶどうを送ってきてくれます。

今年のぶどうは、いつもよりも大房でした。
天候の加減でしょうか、今年の果物はみんな大きいです。
節子に供えさせてもらいました。
小食の節子は、一粒でもう満腹になるそうです。
私たちも、明日はお相伴させてもらいます。
果物は朝。
これも節子の文化でした。

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■節子への挽歌1839:中学時代の写真

節子
先日、中学校の同窓会がありました。
私は参加できなかったのですが、その時に参加者に配布されたDVDが送られてきました。
中学校時代の写真をうまく編集してくれていました。
懐かしい自分の顔にも出会いました。
節子がもし見たら吹き出すでしょう。
丸い眼鏡をかけた、いかにも勉強好きな顔をしていました。
まあそれは仕方がないのです、なぜかみんなと違う帽子をかぶっている写真が多いのです。
だからすぐわかります。
中学校時代からちょっと変わっていたのかもしれません

中学1年の時に、私は大森から吉祥寺に転校しました。
だから中学時代の友だちは2年強の付き合いでした。
そのせいか、名前が思い出せない顔が多いのです。
DVDには、中学校の校歌も入れられていましたが、校歌も思い出せませんでした。
私は勉強が大好きでしたが、学校はあまり好きではなかったのです。
それでもそのDVDを見ているうちにいろいろなことを思い出してきました。
先生のこともです。
先生ともいろいろな思い出があります。
同窓会に参加したら、もっともっといろいろと思い出すことでしょう。

節子がいなくなってから、私は写真のアルバムをきちんと見たことがありません。
思い出すということが、あまり好きではないからです。
これも不思議なもので、もし節子と一緒であれば、アルバムやビデオを見ることが楽しいはずです。
そのために、私たちはたくさんの写真やビデオを撮っていました。
しかし、節子がいない今は、そうした思い出に触れたいとは全く思わないのです。

中学校時代の写真や昔話は、節子との人生が始まる前のことです。
にもかかわらず、それも含めて、過去への興味を失ってしまっています。
しかし考えてみると、過去だけではありません。
未来への興味も、最近は全くと言っていいほど、ないのです。
時間が止まったなかを、今は何となく存在している。
そんな気がしてなりません。

中学校時代の同級生の顔を見たら、会いに行きたくなるかなと実は少し思っていましたが、まったくそういう気が起きないのが不思議です。
どうもまだ私の心身は立ち止まっているようです。
声をかけてくれる同級生には、ほんとうに申し訳ない気がしますが。

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■世界の脆さ

アメリカ人によって創られた、イスラム教預言者ムハンマドを中傷する映像作品が、中東に再び嵐を起こしています。
2010年にチュニジアのジャスミン革命から広がった「アラブの春」のエネルギーは、まだまだありあまっているのかもしれません。
そのエネルギーをどう処理するかは、組織にとっても個人にとっても、そう簡単ではないでしょう。
しかし、その処理の仕方によっては、歴史が大きく変わります。
ネグリ&ハートは著書「マルチチュード」のなかで、マルチチュード(大衆)の持つ両義性について述べていますが、中東の状況は、まさにマルチチュードのエネルギーの恐ろしさと頼もしさを物語っています。

私が恐ろしいと思ったのは、マルチチュードを暴発させることのあまりの容易さです。
今回は、一人の人の映像作品でした。
つまり、いまや一人の人の力で、世界を壊すことができるのです。
核爆弾も恐いですが、情報技術はもっと恐いように思います。
もちろんこれは決して「偶発」ではなく、「意図」が働いています。
その「意図」に恐さを感じます。

ネグリは著書のなかで、「コミュニケーションを通じて動員された共は、ある地域での闘いから別の地域での闘いへと拡大していく。ある地域で起きた反乱が共通の実践や欲望のコミュニケーションを通じて、あたかも病気が伝染するように別の地域へ伝わるのだ」と書いています。
イスラム世界は、その理念における平和性にもかかわらず、「病気」が伝達しやすいつながりを持っています。
しかもその題材が、自分たちのアイデンティティの立脚点であるムハンマドであれば、小異を超えて大同してしまうでしょう。
まだまだ深く広がっていく可能性があります。
それは、イスラムの教義とは無縁です。

日中をめぐる尖閣諸島問題もまた、マルチチュードの爆発力の引き金になっています。
尖閣諸島がどこの国に属しようが、ほとんどの人にはあまり関係はないでしょう。
にもかかわらず、中国中の都市で暴徒化するほどのデモが広がっています。
デモに参加する人たちの怒りの向かう先は、たぶん日本ではないでしょう。
実際には尖閣諸島などどうでもいいように思います。
しかし、にもかかわらずそれは、だれかの「意図」に利用されるでしょう。
その「意図」は、しかしデモで騒いでいる人には見えないでしょう。

テレビでデモに参加した人たちは、いったいなんに怒りを感じているのか。
そして、何のために暴徒化しているのか。
見ていると、なんと馬鹿げたことと思いますが、冷静に考えれば、私自身もたぶん似たような行為をしているようにも思います。

デモの後に見えるものは何か。
デモの先に見えるものは何か。
その風景は、人によって違っているでしょう。
しかし、それらが間違いなく示していることは、世界の脆さです。
世界は実に脆くなってしまいました。
そして、その脆さを利用する「意図」が存在している。

実体を大きく超えてしまった世界の脆さこそ、情報社会の本質かもしれません。

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2012/09/14

■節子への挽歌1838:感謝の形

節子
節子がいなくなってからも、私が不自由なく暮らせているのは娘たちのおかげです。
その感謝の気持ちが伝わっているかなあ、と今日、ユカに話したら、お父さんは感謝の気持ちを形にしないよねと指摘されました。
そして、お母さんに感謝の気持ちを形で示したことはないでしょう、と言われてしまいました。
たしかにそういわれると自信がありません。
「ありがとう」という言葉は、節子にも娘たちにもよく使っていると思いますが、やはりもっと形にすればよかったと思います。

前にも書きましたが、私は贈り物が不得手です。
節子は、私から贈り物をもらった記憶はほとんどないでしょう。
私が節子にあげたプレゼントで、思いだせるのは一つだけです。
それも結婚前で、風邪を引いて会社を休んでいた節子に、節子の友だちに頼んで、犬のぬいぐるみを持っていってもらったのです。
何で犬のぬいぐるみか、理由が思い出せませんが、記憶にあるのはそれだけです。
たぶん節子は、私からのプレゼントは諦めていたでしょう。

節子は私と違って贈り物の文化を持っていました。
私が最初に節子からもらったのは、おばけのQ太郎の刺繍入りの手編みのセーターでした。
そのセーターをもらったお礼に何かを返礼した記憶もありません。
もらったセーターをよく着ることが、私の返礼の感覚なのです。

感謝の気持ちを形にするのは贈り物だけではない、と娘は言います。
贈り物以外で、なにか形にしたことはあったでしょうか。
あるといえばありますが、ないといえばない。
娘は、「贈り物」には「意外性」がなければいけないと考えています。
いわゆる「サプライズ!」でしょうか。
たとえば普段行くことのない高級レストランでの食事や高級ホテルでの宿泊です。
残念ながら、そういう経験は一度もありません。
節子に「サプライズ」をプレゼントしたことがなかったとは、実に悔いが残ります。
いまもテレビなどでちょっと贅沢な旅館やレストランを見ると、心が痛みます。
節子には、一度たりとも「贅沢」を体験させてやらなかったのです。

節子は、そんなことを望んではいませんでした。
それは間違いありません。
しかし、だからこそ、そうしたことが「サプライズ」になるわけです。
そして、それこそが「感謝の形」なのかもしれません。

節子は、たぶん私と結婚したことで、サプライズの連続だったと思いますが、私の感謝の気持ちを、時に「サプライズ」の形にして贈られることを望んでいたでしょう。
それに気づくのが遅すぎました。
もっとも、節子は今もなお、そのことに気づいていないかもしれませんが。

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2012/09/13

■節子への挽歌1837:家族の文化

節子
敦賀から新米が届きました。
敦賀には節子の姉が嫁いでいて、わが家のお米はいつもそこから送ってもらっています。
お米と一緒に野菜も届きます。

節子がいたら、今でも毎年、敦賀には行くのでしょうが、最近は久しく行っていません。
敦賀には、黒メダカもいれば、沢蟹もいます。
ですから以前は、敦賀に行くたびに、近くの川に行って、沢蟹をつかまえて、わが家の庭に放していました。
しかし、庭での放し飼いは難しく、定着していません。
ある朝、庭に行ったら、沢蟹が歩いている、などという光景をいつも夢見ていますが、実現していません。
私のこの希望を、本気で理解してくれていたのも節子です。

節子たち姉妹は、とても仲良しでした。
性格はかなり違っているようにも思いますが、それが逆にうまくかみ合っていたようです。
私にも性格の違う兄がいますが、なかなかかみ合わずに反発してしまいがちです。
仲が悪いわけではありませんが、会うとよく言い合いになります。
血のつながりのある関係は、ある意味で悩ましいものです。

血のつながりなどまったくない、私と節子が、なぜかみ合ったのかも不思議です。
性格もかなり違っていたはずですし、何よりも文化が違いました。
しかし、その違いがむしろ新しい文化を創りだしたのです。

最近娘たちから、わが家の文化(生活ルール)は、友達の家とかなり違っていたとよく言われます。
そのため娘たちは、苦労したようで、私たちに反発していたこともあるようです。
しかし、その内容を聞きながら、私はそうしたわが家の文化に満足しています。
その文化を守ってくれた節子には、やはり感謝しなければいけません。
いま私が、娘たちに支えられているのは、そのおかげなのですから。

日本の家族の文化が壊れてきているのが、とても残念です。
福祉の社会化などという名前で、福祉が市場化されているように、家族もまた市場化されてきています。
自殺や孤立死が話題になっていますが、それはたぶん私たちの生き方が必然的に生み出してきたことです。
たぶん今とられているさまざまな方策は、役には立たないでしょう。
そんな気がします。
でもやらなければいけないのが悩ましいです。
15日は自殺のない社会づくりネットワークの交流会をやりますが、いつも出てくるのは「家族」の話なのです。
いまさら何を、と思うことも少なくはないのですが。

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2012/09/12

■節子への挽歌1836:看病失格

節子
今年の夏は暑かったせいか、体調を崩したお年寄りが多かったようです。

今日、街中で突然に声をかけられました。
最初はすぐに思い出せなかったのですが、以前、まちづくり関係でご一緒したOさんでした。
Oさんは、私よりも若い女性ですが、仕事人生で、結婚せずに仕事三昧だっ地域活動をしたいといって、私たちの仲間になったのです。
しかし、そのグループの活動が最近停滞していて、あまり会う機会がなくなっていたのです。

久しぶりですね、というと、暑さのために母が倒れて危篤状況になってしまったのよ、と言うのです。
そして、話しだしました。
幸いに母上は危機を乗り越えたそうですが、認知症が進み、大変のようです。
いまは毎日、この暑さの中を、入院している遠くの病院まで通っているようです。
汗が噴き出すほどの様子を見て、お母さんも大事だけど、自分が倒れないようにしないとね、と言いましたが、実は最初、声をかけられた時に、すぐOさんだと気づかなかったのは、この1か月ほどの大変さのせいかもしれないと思いました。

Oさんの顔が変わっていたわけではありません。
しかし人は、顔だけで人を識別はしません。
似顔絵の難しさがよく話題になりますが、意外と顔は見ていないものです。
なんとなく全体の雰囲気が、以前のOさんとは違っていたのです。

雰囲気と言えば、昨日、新潟から会いに来てくれたKさんも、いつもと雰囲気が違いました。
どこがどう違うとは説明できないのですが、明らかにいつものKさんではありませんでした。
部屋にはいってきた途端にそれを感じました。
そして、別れ際に、その理由がわかりました。
Kさんが、心の内にある心配事をポロっと口にしたのです。

人はみな、重荷を背負って生きています。
その重荷が、もしかしたら人の雰囲気を変えていくのかもしれません。
昨日のKさん、今日のOさん、いずれも重荷を口にできる人がいなかったのかもしれません。
その重荷を何の遠慮もなく打ち明けられる人がいるかどうか。
私には、5年前まで節子がいました。
ですから私はどんな時にもストレスを溜めることはなかったのです。
しかし、そのストレスはもしかしたら節子が背負っていたのかもしれません。
そして逝ってしまった。
そうだとしたら、なんと罪深いことでしょうか。

Kさんの重荷も、Oさんの重荷も、私にはあまり関わりのない重荷です。
しかし、一度、それを聞いてしまうと、なぜか頭から払い除けることはできません。
だからと言って、何をすることができるわけでもありません。
にもかかわらず、何となく疲労感を感じます。
それに気づいたら、さぞかし節子は私のために重荷を背負わされていたのだろうなと気づかされました。
ややこしい話ですが、節子の発病後に抱え込んだ私の重荷は、実は私ではなく節子が背負っていたのです。

私は結局、節子を看病していなかったのかもしれません。
先日、娘と話していて、感じたこともそのせいかもしれません。

もう一度、節子を看病できるのであれば、今度は間違わないようにしなければいけません。
来世もまた、私が節子を見送るのかもしれません。
なんだかそんな気がしてきました。
私が見送ってもらえるのは、どうやら来世の次の來々世のようです。

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■富裕層は不労所得者

先ほどテレビで「富裕層ビジネス」の話をしていました。
番組は見ませんでしたが、いわゆる「富裕層」が日本にも多くいます。

こういう話が出てくるたびに、思うことがあります。
富裕層は、ほとんど働いていないのだろうなと言うことです。
言い方を変えれば、働いていたら決して富裕層にはなれないでしょう。
人が真面目に働いて獲得できるお金は、そんなに差があるはずがありません。
スポーツ選手や芸能人が億単位の年収を貰っているのは、私には理解できませんが、それが彼らの働きに正しく対応しているわけではありません。
彼らは単にお金を集める集金装置の歯車として自らを売っているだけの話です。
誠実な人であれば、億単位の対価をもらえば悩むはずですが、なぜか彼らは悩みません。
私には理解し難いことです。
みんなそんな悪い人には見えませんが。

彼らは、生命を極限まで燃やして頑張っていますから、ある意味では許されるような気がしないでもありません。
しかし、彼ら以上に富裕な層はたぶん働きはしません。
誰かを働かせて、ぴんはねをするのが、彼らの働き方ですが、それは普通の「働き」とは違います。

たとえば、福島の原発事故の修復作業に当たっている労働者とその労働者に給料を払っている人の構造を少し考えてみれば、よくわかります。
給料の多寡と労働の多少とは、反比例しているでしょう。
除染費用はゼネコンにたくさん入るでしょうが、現場の労働者に配布される給料はそのほんの一部でしょう。
日当20万円という話もありましたが、仮にそうだとしても、会社の収入にくらべればわずかな額でしょう。

さらに全く働かずに、お金を貸して高利を貪っている人がいます。
日本政府は巨額な借金をしていますが、それに対して巨額な利子を払っています。
富裕層は、その巨額な利子に寄生しています。
言い換えれば、財政赤字であることのおかげで富裕になっている人がいるわけです。
そういう人は財政赤字が解消されたら困るわけです。
小泉元首相のように、巨額な政府借金の道を開いた人には感謝しているでしょう。

そういう不労所得をなくすために、政府は借金を返済しないでいいという法律をつくれば、財政赤字は1日でなくなります。
あるいは日銀券を借金分だけ印刷して返済してもいいでしょう。
お金に依存して生活していた人は困るでしょうが、多くの人は困らないでしょう。
経済が混乱するから失業者が増えて貧しい人ほど困るだろうと思うかもしれませんが、そんなことはありません。
貧しい人は、そもそもお金がないのだから、お金の経済が混乱してもどうという事はありません。

さて、この論のどこに間違いがあるでしょうか。
いくらでも指摘できるでしょう。
しかし、正しいことはまったくないでしょうか。
ひとつくらいはあるでしょう。
そのひとつから、論を組み立てていけば、世界は全く変わってきます。

こんなことを書いたのは、もう一つおかしいことがあったからです。
陸前高田の枯れた1本松が今日、切り倒され、来年また記念碑として立てられるそうです。
それはいい。
しかしその費用が1億5000万円だそうです。
周辺の被災者に1億5000万円を配って、みんなで工夫して松の伐採と記念碑づくりに当てられなかったものでしょうか。
1億5000万円はだれのポケットに入るのでしょうか。
危険をおかして伐採した作業員の今日の日当はいくらだったのでしょうか。

みんなお金の感覚が麻痺しています。
お金が単に交換のためのコミュニケーション手段でしかなかった時代に、私は生きたかったです。

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2012/09/10

■節子への挽歌1835:「頭の中は宇宙」

節子
小美玉市の文化センター「みの~れ」もオープンしてから間もなく10年を迎えます。
それを記念して、みの~れに関わってきた住民たちが本をつくりたいと昨年、湯島にやってきました。
1年かかりましたが、その原稿ができました。
その最後の編集会議をみの~れでやってきました。

みの~れのこけら落としは、住民ミュージカル劇団による「田んぼの神様」でした。
私は、みの~れの企画段階から関わっていた関係で、節子と一緒に招待してもらいました。
しかし、開館後はあまり付き合いがなくなっていました。
というか、みの~れに関していえば、仕事での関わりではなく、何となくボランタリーに関わってしまっていたの、仕事にはしたくなかったのです。
しかし、その関係で、その後、総合計画や都市計画、さらには住民発議のまちづくり組織条例などの仕事を私の納得できる形で自由にやらせてもらいました。
住民たちと一緒に、型破りの都市計画マスタープランも作ってしまいました。
その関係で、住民のみなさんともそれなりのつながりがあるのです。

節子の葬儀には、みの~れがある美野里町からたくさんの人が来てくれました。
みの~れの館長も来てくれました。
ですから、昨年、その館長の山口さんが、10年経ったので、その成果を本にしたいと言ってきた時には、正直、お断りしたかったのですが、断れませんでした。
節子のことで心をかけてくれた人には、どんなことも引き受けるというのが、私の基本姿勢なのです。

しかし、その本づくりはなかなか進みませんでした。
ほんとに作る気があるんですか、などと手弁当で毎週集まっている住民たちにまで憎まれ口をたたいてきました。
しかし、締め切り近くなって、みんなものすごく頑張ってくれました。
私を見返してやりたいという気持ちもあったそうですが、まさに私が見返されたような素晴らしい原稿に仕上がってきました。
関わらせてもらってよかったと思いました。

本は11月3日に発売されますが、たぶん「まちづくり編集会議」というタイトルになるでしょう。
その本の最後に、編集委員のメンバー紹介がありますが、そこに私の名前も入れてくれました。
その原稿をもらって見てみたら、「彼の頭の中は宇宙」と書かれていました。
よくわかんない表現ですが、私に翻弄されたという意味合いがこもっています。

それを読んで、節子だったらきっと大笑いしながら納得するだろうと思いました。
節子は、その「頭の中が宇宙」の私に翻弄されながら、喜怒哀楽の大きな人生を過ごしてきたからです。
最初は魅了され、しかし混乱し、結婚は続かないと思い、ちょっとだけ離婚も考え、しかしそのうちその宇宙にのみこまれ、無重力感を楽しみ、最後には「良い人生だった」と思えるようになった。
たぶん、それが節子の、私との人生でした。

しかし、その大笑いする節子はもういません。
そのため、私の宇宙も、歪みだしているかもしれません。
でも、楽しい本づくりでした。
まだ原稿が完成した段階ですので、これからが大変なのですが、もう大丈夫、良い本になりましたといったら、昨日はみんな喜んでくれました。
11月3日が楽しみです。

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■なぜ倒閣運動が起きないのか

日本の政治はほぼ完全に民主主義を裏切ってしまいました。
オスプレイ配置反対のデモの空からの映像を見て、そう思いました。
これまでの反対に、政府は何も感じないのでしょうか。

政権が守るべきは、国民ではなく、金融資本と言ってもいいように思います。
アメリカの政府と同じように、日本政府もお金の世界に制覇されてしまいました。
小泉元首相から始まった、金銭至上主義政治が国民の生命さえも、市場化しだしています。
当時の「民営化」発想は、「市場化」、つまり「金銭化」以外のなにものでもありませんでした。

お金優先の政治に変わったのは、小泉政権だったと私は思っています。
当時もそのことをブログには書きましたが、小泉さんには金銭欲はないと友人からは言われました。
とんでもない、視点をちょっと変えれば、彼こそ金の亡者のように思います。
郵政民営化は、その象徴です。

野田政権は、原発、TPP、オスプレイ、どれをとってもお金で動いています。
消費税増税も、その視点で捉えれば、国民の税をアメリカ資本に移動しやすくするだけの話かもしれません。

原発再稼動反対、オスプレイ配置反対、TPP反対などと個別の反対運動では、もはや事態は変わらないところまできています。
野田首相は、国民の生命や安全や文化になど関心はないのでしょうか。
毎週の国会周辺でも、沖縄の人たちの切実な声、それになぜ心が動かないのか。
不思議です。

個別問題に異を唱える段階は過ぎたのかもしれません。
もはや「倒閣運動」しかないような気が、昨日の沖縄の集会の映像を見ながらしました。
野田首相とアサド大統領の顔が重なって見えました。
シリアより、日本の状況が悪いような気がしました。
大学の卒業式で、総長が「太った豚になるよりも痩せたソクラテスになれ」と呼びかけてくれました。
共感しました。
しかし、残念ながら、昨今の日本は、太った豚たちに好き勝手やられているような気がします。

しかし、なぜこんな状況になっても、倒閣運動が起きないのか。
そこにこそ、今の社会の本質的な問題があるのかもしれません。
改めて、チャールズ・ライクの本を読み直したくなりました。

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2012/09/09

■節子への挽歌1834:家族会議

節子
節子を見送って5年。
ようやくわが家族も、みんな落ち着きだしたように思います。
私もそうですが、やはり家族の一員がいなくなってしまうと、その修復には5年くらいは必要なのでしょう。
もちろん落ち着きだしたといっても、みんなそれぞれに大きなダメッジを受けたままであることはいうまでもありません。
私もそうですが、娘たちもそれぞれに大きなダメッジと人生の変更を余儀なくされています。

昨夜、結婚した娘も含めて、家族会議になりました。
ちょっと問題が起こったからです。
節子に救いを求めたいほどの、大変な会議でした。
みんなそれぞれにストレスを溜め込んでいたのです。
でもそのおかげで、それぞれのダメッジへの理解が、お互いに少しだけ深まりました。

家族会議は、わが家の文化の一つです。
何か問題があると、みんなで話し合うのです。
節子がいなくなってからも、その文化は辛うじて続いています。

わが家の家族会議は、時に修羅場になります。
みんなが平等に話し合います。
価値観はそれぞれかなり違います。
また、父親だからといって、私が特別の立場を得られるわけではありません。
私も真剣勝負です。
そして、多くの場合、娘たちのほうに理があることが多いのです。
それがわかるだけ、私のほうが、まだ娘たちよりもリード力があるということですが。
しかし、娘たちの辛らつな指摘には、気づかされることが多いです。

昨夜の家族会議も、私には衝撃的でしたが、今日は間違いなく、昨日の家族会議以前よりも、みんな晴れ晴れしていました。
たぶん私も含めて、全員、昨夜はあまり眠れなかったのではないかと思いますが。

この文化を創ってくれた節子には感謝しなければいけません。
娘にとって、失うのが父親か母親かでは全く違うでしょう。
最近、そのことを痛感しています。
家族にとって大切なのは母親なのです。
経済的には父親のほうが大きな役割を担っていることが多いのかもしれませんが、生活面では父親の役割などほとんどないようにさえ思います。
節子がいなくなって以来、私自身、節子の不在を何も埋められないことに気づかされています。
男性は、まさに女性に寄生する存在なのかもしれません。

昨夜の娘たちとの話し合いで、節子の看病を果たして私は十分にしたのだろうかという思いがまた頭によぎりだしました。
娘からそう指摘されたわけではありません。
しかし、娘たちの受けたショックの話を聞いていると、自信が崩れてしまいます。
母親を失うよりも妻を失うほうが重大事だと、私は勝手に思いすぎていたことにも、気づかされました。
もちろん今でも、実はそう思って入るのですが。

節子がいない家族会議は、私にはこたえます。
今朝のお祈りに、思わず、「節子、助けてほしいよ」と声に出してしまいました。
でもまあ、今日は、2人の娘たちに大いに助けられて、元気が戻ってきました。
節子のおかげかもしれません。
ありがとう、節子。

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2012/09/08

■節子への挽歌1833:ジョンのように愛していたか

「スリーデイズ」という映画があります。2010年のアメリカ映画ですが、フランス映画『すべて彼女のために』のリメイク作品です。
原題は「The Next Three Days」。
The Last Three Years そしてThe Last Three の話を踏まえての、3日間の話です。

愛する妻子と幸せな毎日を過ごしていた大学教授のジョンの妻が、突然に殺人容疑で逮捕されてしまいます。
それから3年。ジョンは息子を育てながら、妻の無実を証明するため奔走しますが、裁判で妻は有罪が確定します。
絶望した妻は、獄中で自殺未遂を起こします。
ジョンは「彼女の人生と家族の幸せを取り戻す」と決意します。
そのためには、自分の人生はすべて捨ててもいい。
それからの3か月、彼は、危険にあいながら、さらには法を犯しながら、綿密な脱獄準備を用意していきます。
しかし、突然、妻は長期刑務所に移送されることになります。
移送までの3日間が、脱獄の最後のチャンス。
脱獄計画を嗅ぎつけた警察はジョンの周囲にも捜査の手を伸ばしだします。
そして・・・、という話です。

映画を観ながら共感できたのは、人を愛するということは無条件に信ずることだということです。
私は、愛するとは信ずることだと思っています。

ジョンは妻に「本当に人を殺したのか」と一度も訊きません。
妻もまた「私は殺していない」と一度も言いません。
無条件の信頼関係です。
その愛には圧倒されます。
私に果たしてできるだろうかと思いますが、それができなければ愛とはいえません。
愛は常に無条件でなければいけません。

この映画は、節子と一緒に観たかったと思います。
節子は、たぶん、私を無条件に信じていました。
もちろん私もそうです。
愛しているもの同士には、質問はなくてもいい。
そう気づいたら、とても楽になりました。
なぜなら、節子になぜ問わなかったのかと思う質問が、山のようにあるからです。
それを思い出すたびに、自責の念に苛まれます。
しかし、そう思うこと自体が、節子を悲しませることになるのかもしれないと気づいたのです。

この映画は、偶然に最近テレビで観たのですが、観て以来、頭の中で反芻しています。
実は、ほかにもたくさんのことを考えさせられた映画でした。
悲しくて、苦しくて、でも、どこかに救いがある。そんな映画でした。

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2012/09/07

■シャープの経営不振に思うこと

シャープの経営が揺らいでいます。
一時期、世界を制覇したかにみえた亀山工場の土地建物にも追加融資の担保としての根抵当権が設定されたことも明らかになりました。
金融資本の傘下に、シャープもまた組み込まれ、実体を失っていくでしょう。
実に残念です。

わが家のテレビはシャープの亀山モデルです。
私は以前からシャープファンだったのですが、亀山モデルあたりから実はシャープ嫌いになっていました。
しかし、娘が亀山モデルを買ってしまいました。
DVDレコーダーもセットのシャープ製品ですが、私が使っている体験では明らかに品質的に問題がありそうです。
世界の評判を受けていた時代の商品でさえ、すでに品質は落ちていたと、私は思っています。
まあそれはたまたまわが家の商品が「はずれ」だったからかもしれませんが。

それはともかく、かつてあれほど世界に評判だったシャープが、なぜこれほどひどい状況になったのでしょうか。
目先の管理はあっても、大きな経営がなかったからだと私は断言できます。
しかし、こうしや経営の乱高下は、シャープに限ったことではありません。

前にも書きましたが、業績がこれほど乱高下する企業のあり方、あるいは経済のあり方が問われなければいけません。
もし企業が社会としっかりとつながり、そこで働く人たちやお客さんともしっかりとつながっていたら、こんなことは起こりません。
経済が、実体とつながっていたら、こんな経済危機など起こりません。
まさに昨今の経済は、カジノ資本主義とさえ言われるように、金融資本の道具に成り果てているのです。
そして、人間から生活を取り上げ、「労働者」や「消費者」にしてしまっています。
「労働者」や「消費者」の理想形は「無産者」であることはいうまでもありません。
格差社会は必然的に起こり、いじめや不安は社会を覆いつくすでしょう。
経営者は、この流れを変えなくてはいけません。

一昨日、20年以上、経営道を説き続けてきている友人の市川覚峯さんが湯島に来ました。
私は、市川さんの経営道活動をささやかに応援させてもらっていますが、はじめてからもう25年ほど経ちますが、事態は悪化の一方です。
私から言わせれば、「悪貨が良貨を駆逐する」のたとえどおり、似非経営者が多すぎます。
金儲けが経営だと思っている人が多すぎます。
コストダウンのために、国外に生産拠点を移すなどと言うのは経営とは言えません。
そんな対策なら、コンピュータ計算ではじけばいいわけで、だれでも経営ができるでしょう。

戦後の荒廃した状況の中から、経済大国とまでいわれるようにしてきた時代の経営者は、全く違っていたように思います。
金儲けではなく、社会への使命感や未来へのビジョンをしっかりと持っていました。

今朝、テレビで、亀山工場のあった亀山市の状況が報道されていました。
一時は駅前にずらりと並んだタクシーも、いまは数台のみ。
商店街の人たちをはじめ、住民たちは世界からの亀山工場詣でが盛んな頃も、地元には何のいいこともなかったと言っています。
そういう発言は、自らの無責任さを露呈しているだけの話ですが、こうしただめな住民たちを育てたのも亀山人気だったのかもしれません。
亀山市の税収は増えたと自治体の人は言い。テレビのコメンテーターたちも誘致は成功だったとほめていましたが、私には違和感があります。
ただただお金に振り回されて、地域や地域住民をだめにしただけの話です。
そろそろお金を基準にした発想を捨てなければいけません。
テレビを見ていて、こういう地域が日本全国に増えていて、そこにまた「お金で地域活性化」などと言って、金の亡者たちが群がっていくのだろうなと、嫌な気分になりました。

お金を基準にする発想を捨てたら、どこの地域も、自然と元気になるはずです。
私が時々、うかがっている小美玉市は実に豊かです。
たぶん大企業の工場誘致などにうつつを抜かしてこなかったからだろうと思います。
豊かな文化がしっかりと育っています。

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■節子への挽歌1832:不幸ではなく、祝うべきような死

節子
昨日、供え物を死者と共に飲み、柏手を打った人のことを書きました。
柏手は神道の作法で、墓前では手を打ちません。
しかし私は、以前からお寺の仏を前にして、柏手を打っていました。
最初は節子に注意されましたが、長年のうちに、節子もそれに馴染んでしまいました。
仏前の法事では、柏手は打ちませんが。
しかし、3日の命日にも、墓前でわが家の家族はみんな柏手をしました。

神道では、左手は火としての霊、右手は水としての身を意味すると言います。
左は火足(ひたり)、右は水極(みぎ)というわけです。
柏手は、霊に身を託す象徴的仕草といえます。

ある人から「天地明察」という小説が面白いと聞きました。
それで読もうと思い、その本を頼んでいたのですが、一昨日、届きました。
落ち着いたら読むつもりでしたは、昨日の朝、少し時間があったので読み出してしまいました。
そうしたら実に面白く、止められなくなりました
予定を変えて、昨日読み終えてしまいました。

江戸時代の天文暦学者の渋川春海の話です。
この小説「天地明察」は、映画化され間もなく公開されるそうで、しばらくはブームになるでしょう。

柏手の話は、「天地明察」にも出てきます。
春海は神道家でもあったからです。
こんな文章も出てきます。

神道は、ゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している。
死すらも「神になる」などと言って否定しない。

節子もまた、神になっている。
死は決して終わりではなく、始まりだという神道の考えは、心を和らげてくれます。

「天地明察」は筋書きがおもしろいのですが、主人公が関わる算術や囲碁に関する話もとても興味深いものがあります。
登場人物はたぶんすべて実在の人物ですが、それがまた面白い。
水戸光圀や江戸幕府重臣たちの人物像も、それぞれに表情豊かに書かれています。
しかし、私の心に一番残ったのは、筋書きの面白さでも博学的な情報ではなく、最後の4行でした。
実にうらやましく、恥ずかしながら、涙が出たほどです。
主人公の春海は後妻のえんと、2人にはゆかりの深い神社を訪ねたという話の後に、その4行が書かれ、小説は終わっています。

それから数日後の10月6日。
春海と後妻、ともに同じ日に没した。
残された家人たちは、最期まで仲むつまじい夫婦であった、まったくお二人らしいことだと、まるで不幸ではなく、祝うべきことでもあったかのように話している。
世界には、幸せな人もいるものです。

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2012/09/06

■節子への挽歌1831:共生き

節子
ちょっと思うことが会って、DVDに録画していた「日本人は何を考えてきたのか」の第7回「魂のゆくえを見つめて」をもう一度、見ました。
これで3回目です。
そのなかに、先の東北大震災時、最後まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けていた南三陸町職員のいた防災対策庁舎が出てきます。
そこにつくられていた死者を弔う献花台のまえで、作家の重松清さんと東北学の赤坂憲雄さんが、語り合っていると、一人の住民が自転車でお参りにきます。
その人は、礼拝した後、そこに供えてあった缶コーヒーを飲んで、拍手をしたのです。
あっけに取られたように、それを見ていた重松さんは、凄い宗教的なものを感じたと言い、赤坂さんも「飲みましたよね」と驚きを隠しませんでした。
そのシーンを、今朝、急に思い出したのです。

その風景を巡って、お2人は話すのですが、そこに「死者と共に生きる」という言葉が出てきます。
浄土宗でいう「共生き」です。
一時期、「共生」という言葉が流行りましたが、何やら軽い感じで、私はむしろこれまでも「共生き」という言葉のほうが好きでした。
20年ほど前にある地域のまちづくり計画にかかわった時にも、「共生き」を基本しましたが、たぶん「共生」としか受け取られなかったのかもしれません。

私の勝手な解釈ですが、共生は共時的な生活概念であるのに対して、共生きは通時的な生命概念ではないかと思っています。
何となくそう思い続けていたのですが、このシーンにこそ、その本質的なメッセージがあるのではないかと思い立ったのです。
そして、今の私はまさに「共生き」を理解しうるのではないかと思ったのです。

この番組は、柳田国男や折口信夫をテーマにした番組でしたから、まさに「魂」が語られています。
しかしそういう語りよりも、この住民の行動は鮮やかに、魂の本質を語ってくれたような気がします。
私は、そのメッセージをきちんと受け止めていませんでした。
それに今朝、気づいたのです。

向こうにいる死者に祈るのではない。
死者と共にあることこそ大事なのだ。
重松さんの言葉にそう思いました。
改めて、節子と共にあることを思い出しました。
最近は、それがおろそかになってきています。

昨今の日本社会は、死者と共にある生き方が失われつつあります。
いやもうほとんどすべて失われてしまったかもしれません。
そうした風潮に流されることなく、共生きを大事にしようと思います。
位牌壇へのお供えの仕方を変えなければいけません。

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2012/09/05

■節子への挽歌1830:意識と心身のずれ

節子
命日の後は毎年そうなのですが、なんとなく厭世観が強まります。
意識的にはむしろ、自分を奮い立たせようとするのですが、意識と心身は同調しません。
そのずれに、逆に疲れが出てくるのが、この季節です。
夏の疲れもあるのでしょうが、意識と心身のずれが一番大きな季節で、私には苦手です。

人の意識と心身は、それぞれ勝手に動きます。
その上、意識はひとつではありません。
節子がいた頃は、自然とそのバランスが取れていました。
自分の人生を左右する大きな事柄に出会うと、それが壊れてしまいます。
そうした状況で、心身と意識の双方と付き合うのは、いささか辛いものがあります。

私の場合、歳をとるにつれて、心身の動きに任せるようになってきています。
若い頃は、自分の「意識」を大事にしていましたが、最近は、意識などは瑣末なものと思えるようになってきました。
しかし、「意識」はまだまだ健在で、時に心身を邪魔します。
特に、他者と話している時などは、ついつい「意識」に従ってしまいます。

私は人と話すのが大好きです。
しかし、大好きなのに、多くの場合、ひどく疲れるのです。
なぜこんなに疲れるのか、と節子にも話したことがありますが、その疲れはたぶん「意識」と「心身」のずれから来るのです。
さらにいえば、私の心身は、実はあまり人に会いたくはないのかもしれません。
にもかかわらず、人に会って話をしたいという「意識」がある。
いつの頃からか、その「意識」が私を主導しだし、いまや乗っ取られたような気もします。

厭世観に関しても、最近、ある気づきがありました。
「厭世」という時の「世」は、いうまでもなく此岸です。
その此岸に、最近、人がいなくなってきたという気がしてなりません。
私が変わったのではなく、「世」が変わってしまった。
はっきりといえば、私にとって、此岸は今や「幽界」に近いのです。

心身で感ずる「世」と意識で感ずる「世」は違います。
「好きだけれど嫌い」という、矛盾した思いを持つことは、誰にもあることでしょう。
それこそが、心身と意識のずれだと思いますが、そのずれがバランスしてくれるまで、もうしばらく私の行動量は減少し続けそうです。
一見するといろいろと動いているようで、実は動いていない。
それがまた大きなストレスにもなっています。

ちょっと言い訳的な挽歌になってしまいましたが、実は節子に救ってほしいという祈りの挽歌でもあるのです。
SOSを受け止めてくれる人がいないのは、とても辛いことです。
たぶん、私だけではないのでしょうが。

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2012/09/04

■節子への挽歌1829:目覚めの彼岸

節子
昨日が5回目の命日であることをフェイスブックに書いたら、たくさんの人が反応してくれました。
そのなかに、節子もよく知っている乾さんの書き込みもありました。
乾さんは、石垣りんさんの詩の一節を思い出したと書いています。
その一節とは、三木卓さんが追悼文で取り上げた有名な次の一節です。

死者の記憶が遠ざかるとき、同じ速度で、死は私たちに近づく。
乾さんは、つづけてこう書いてくれました。
佐藤さんの場合は記憶が薄れていってはいないのでしょうが、命日が遺された者のためにあるのはまったくその通りだと思います。
乾さんの心遣いにもかかわらず、私の場合もまた「記憶は薄れていって」いるというのが正しいです。
薄れているのではなく、変質しているというほうが適切かもしれません。
そしてそれは、同時に、自らの死に同調させているともいえます。

石垣さんの、この一節は、実は戦没者たちへの弔辞の中で書き残した言葉の一節です。
その弔辞の最後はこう書かれています。

戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。

八月十五日。
眠っているのは私たち。   
苦しみにさめているのは
あなたたち。
行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。

 乾さんのおかげで、久しぶりにこの文章を思い出して、読み直してみました。
最後の5行が、なぜかこれまでとは全く違う意味合いを持っているように感じました。

節子
彼岸とは、目覚めの世界なのでしょうか。
最近の此岸は、生気がなく退屈で、たしかに眠っているような世界になっています。
もしかしたら、それは私が眠っているからかもしれません。
節子のいない世界でも、大きな息を吸わなければいけないのかもしれません。
この5年間、大きな息も吸わず、先も見ず、ただただ立ち止まっていたような気がします。

どうしたら目が覚めるでしょうか。
それ以前に、目を覚ましたほうがいいのでしょうか。
生は、彼岸にあるのか、此岸にあるのか、これは悩ましい問題です。

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2012/09/03

■節子への挽歌1828:5回目の命日

節子
今日は5回目の命日です。
いろいろな方からメールももらいました。
自分の命日でもないのに、伴侶の命日なのに、メールをもらうのも少し不思議な気がします。
命日は、遺された遺族のためにあるのだということを、改めて実感しました。

今朝、家族みんなでお墓参りに行きました。
いつものように私が般若心経を唱えたのですが、なぜかスムーズに出てきません。
いつもはちゃんと自然に口から出るのですが、今日はかなりいい加減な般若心経でした。

遠くのSさんからは、
「今日は節子奥様の祥月命日。遠方ではありますが、香を焚きご冥福をお祈りいたします。お訪ねした時の写真を立て、節子奥様から頂いた手紙も飾りました」
とメールが来ました。
そういえば、先日、献花に来てくださった時に、写真の話がでましたが、その写真を見せてもらえばよかったです。
たぶんSさんは、お持ちになっていただろうと思います。
まだまだ私に精神は落ち着いていないようです。

近くのSさんは、
「佐藤家の大切な時を静かに過ごされるようお祈り申し上げます」
と書いてきてくれました。

その中間くらいの距離のところのFさんは
「今日は、奥様の命日ですね。お参りには伺えませんが、鳩居堂のお線香「か津ら」をあげてお参りさせていただきます。奥様と穏やかな語らいの時でありますように」
と書いてきてくれました。

夕方、画家のSさんから残暑見舞いが届きました。
それで昨年の命日のことを思い出しました。
昨年の命日には、Sさんから長いメールをもらったのです。

偶然ですが、僧籍を持つ友人からも電話がきました。
なぜか私にお布施をくれるのだそうです。
節子が息を引き取った時にご夫婦でとんできて、枕経をあげてくれた人です。
節子もよく知っている人です。
お坊さんにお布施を差し出したことはありますが、お坊さんからお布施をもらうのもめずらしいかもしれません。
しかし、よりによって、どうして今日、電話してきたのでしょうか。
これも節子の導きかもしれません。

いろいろな人に心にかけてもらって、感謝しなければいけません。
そのおかげで、今日も静かに過ごせました。

昨日までは、位牌壇の前は真っ白でした。
さすがに白すぎたので、昨日、わずかに淡い色の花も活けてもらいましたが、ユリとランの白さに負けていました。
今日は、カラフルな花を娘の友だちが持ってきてくれたので、雰囲気が少し変わりました。
やはり白すぎると元気が出ないですが、華やかになると元気が出ます。
それにしても、娘の友だちまで覚えてくれているとは、節子も果報者です。

節子がいなくなってからの6年目が始まりました。
今年はもう少ししっかりしようと思い出しています。
節子はもう、戻ってはこないでしょうから。

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2012/09/01

■節子への挽歌1827:お似合いのふたり

節子
滋賀の田村さんと福岡さんから、今年も花が届きました。
この時期は暑さで生花だとすぐにだめになるので、毎年、鉢物を届けてくれます。
今年は真っ白なデンファレです。
なぜか節子への花は白いものが多いのです。

電話をしたら、お2人ともお元気そうでした。
せっちゃんの話題で、今も時々、「かっちゃん」と会っていると「みっちゃん」が話してくれました。
2人は同じ滋賀県ですが、かなり離れているのです。
節子は病気になってからは、滋賀に戻ると彼女たちに会っていました。
私も2度ほど付き合いましたが、3人はとても仲良しでした。
3人ともまったくといっていいほど、邪気のない人で、話しているのを横で聞いていても、楽しそうでした。
心を開ける友だちは良いものですが、5年経ってもまだ花を送ってくれる友だちがいることは幸せなことです。
お2人は節子が発病してからも、心配してわが家にも来てくれました。
来てくれたことは確実なのですが、実は節子の発病後以来の記憶が、私の場合、すべてあまりはっきりしていないのです。
最近、そのことに改めて気づきだしています。
我ながらしっかりしだしてきたと最近は思えるようになって来ましたが、そうなるとこれまでの数年間のことがとても気になりだします。
たぶんたくさんの人たちに、失礼を重ねてきているのでしょう。
まあそれも仕方ありません。

ところで、デンドロビウムはわが家には一時期、たくさんあったような記憶があります。
私の母も節子も好きだったのかもしれません。
残念ながら節子がいなくなってからは、わが家の花はかなり「絶滅」してしまいました。
水のやり具合が難しいランの多くも、節子亡き後はほぼだめにしてしまいました。
最近漸く娘の手入れのおかげで、胡蝶蘭が復活してきていますが、デンドロビウムもデンファレも見当たらなくなっていました。
今回のデンファレは大事に育てようと思います。

花についていたカードには、デンファレの花言葉として、「お似合いのふたり」とありました。
私たちは、実のところ、最初はだれもが「お似合いのふたり」とは思ってくれませんでした。
若い頃の私はいま以上に変わっていて、私にお似合いの相手などいなかったかもしれません。
節子の親戚筋はみんな反対だったでしょう。
私の両親は、一度決めたら変えることのない私の性格を知っていましたから、諦めていました。
節子も、私との結婚は間違っていたかもしれないと思ったこともあったそうですが、でもまあ結果的には「お似合いのふたり」になってしまいました。
結婚とはそんなものだと、今は思っています。
ただ、「お似合いのふたり」も、彼岸と此岸に別れ別れになってしまうと辛いものがあります。
そんなことを思いながら、白いデンファレを見ていると、早く彼岸に行かないといけないのかなとふと思ったりします。
まさか、この2人は、節子と示し合わせて、そういう思いでデンファレを送ってきたのではないでしょうね。
まあ、しかしそれも含めて、うれしいことです。
明日は、1日早い墓参りに行くつもりです。

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■節子への挽歌1826:ブルームーン

節子
真夜中の2時に、チビ太の鳴き声で起こされました。
最近は少しおさまりましたが、夜啼きは相変わらず続いています。
目が覚めて気づいたのは、寝室がいつもより明るいのです。
私は、寝室のドアも窓のカーテンも開けて寝ています。
昔は光があると眠れなかったのですが、いまは光が少しあるほうが落ち着くようになりました。

その窓の外が異様に明るいのに気づきました。
それで今夜はブルームーンだったことを思い出しました。
娘から教えてもらっていたのですが、同じ月に満月が2回ある時、2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶのだそうです。
そして、「ブルームーン」を見ると幸せになれるという言い伝えがあるとも聞いていました。

節子がいなくなってから、私には「幸せ」は無縁なものになりました。
幸せ願望もまったくなくなりました。
ですから、娘から教えてもらっても、昨夜はブルームーンを見る気にもなりませんでした。
しかし、異様な明るさについつい起き上がって窓のところに行って、月を眺めました。
見事な満月が輝いていました。
しばらく見とれていました。
映画「ET」の、満月の前を自転車が走る光景を思い出しました。
久しぶりに、ゆっくりと月を見ました。
いや、もしかしたら、これほど見とれたのは、生まれて始めたかもしれません。

階下で鳴いているチビ太はまた眠りだしていました。
ベッドに入って、さて寝ようと思ったら、突然、轟音が聞こえてきました。
最初は何かわからなかったのですが、開けっ放しの窓から大きな飛行機が見えました。
近くの自衛隊の飛行機でしょう。
時計を見ると深夜の2時40分。
こんな時間に飛行しているのだと驚きましたが、さらに空想が膨らみました。
ブルームーンと大きな飛行機。
そして眠気が吹っ飛んでしまい、頭が冴えてきてしまいました。
おかげで、昨夜は真夜中に2時間も起きていました。
しかし、その途中で気づいたのですが、1時間前のあの異様な明るさはなくなっていました。
朝、娘に昨夜のブルームーンはいつもより格段に明るかったねと話したら、いつもと同じだったよ、と言われてしまいました。
あれは幻覚だったのでしょうか。
それとも、節子のいたずらだったでしょうか。

間もなく節子の5回目の命日です。

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