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2012/09/28

■節子への挽歌1853:私にとっての「仕事」

節子
一昨日、パオスの中西さんと食事をしました。
中西さんは、節子も知っていますが、日本のCIプランナーの草分けにして、第一人者です。
私が会社を辞めたのも、中西さんとの出会いが一因になっています。
節子は、そのこともよく知っていますね。

それはともかく、中西さんはいまも能動的に仕事に取り組んでいます。
しかも、その仕事の質にはこだわり続けています。
中西さんの生き方は、私とはかなり違いますが、共感できるところが少なくありません。
私の生き方も、中西さんはよく知ってくれています。
ですから、仕事を一緒にするわけでもないのに、時々、声をかけてくれます。

一昨日は食事をご一緒したのですが、その時に、中西さんがめずらしいことを言いました。
仕事を続けていられることは幸せかもしれないね、というのです。
同窓会などに出て、そう感じたそうです。
たしかに、仕事から離れると今までの輝きがなくなってしまう人は少なくありません。
しかし、仕事にしがみついている人も問題がないわけではありません。
もう引退したほうがいいと思う人は少なくありません。

中西さんは、仕事をすることと生きることが、重なっている人です。
私もそう考えているので、それがよくわかります。
ちなみに、私にとっての「仕事」は、「生きること」とほぼ同義です。
節子も誤解していた時期がありますが、仕事が生きることではなく、生きることが仕事なのです。
もちろんワーカーホリックではありません。
仕事はお金とも無縁です。
中西さんも、たぶんそういう生き方をしてきているはずです。
その中西さんが、仕事を続けていられることは幸せかもしれないと言うのは、私には意外でした。
あまりに「普通」だからです。

別れた後、その言葉が少し気になりました。
なぜ中西さんは、突然、私に電話をかけてきたのでしょうか。
中西さんは私よりも年上です。

昨日の挽歌に、「伴侶を失った場合、社会から引退するのが正しい生き方だと思うことが時々あります」と書いたら、プーちゃんから「僕もまったく同感です」というコメントが届きました。
さて、悩ましい問題です。
そういいながらも、今日もまた2人の人から呼び出されて、湯島に来ています。
これは「仕事」でしょうか。
そのおひとりが、いま帰りました。

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