■泗水町住民の決断
日曜日の朝日新聞にこんな記事が出ていました。
「平成の大合併」をした旧町が再び分離独立しようとする動きが熊本県菊池市で起きている。2005年に当時の菊池市と合併した3町村のうち、旧泗水(しすい)町の住民グループが20日、分離の要望書と住民の半数を超える署名を福村三男市長と市議会議長らに出した。総務省によると、平成の大合併でできた自治体から分離した例はないそうです。
しかし、もしこれが認められ、泗水町が再び分離されたら、同じような動きが出てこないとは限りません。
いうまでもなく、平成の大合併は国家統治の効率化のために進められたもので、住民の生活向上の視点は希薄でした。
しかも、特別な交付金をちらつかせての、お金まみれの方法で進められました。
そこでどれほど無駄なエネルギーとお金が使われたかは、その作業に関わっていた人なら誰もがわかっていることでしょう。
そして、合併してよかったと思っている住民や自治体職員は決して多くはないでしょう。
むしろ生活面では不便になった人も多いはずです。
にもかかわらず、多くの住民は泣き寝入りしました。
泣き寝入りというよりも、事実を知らされていなかったといってもいいでしょう。
私は自治体分割論者ですので、その動きには与し得ず、当時やっていた自治体の仕事も基本的には止めました。
私は以前、いくつかの自治体の仕事をさせてもらいましたが、その時に感じたのは、いわゆる小学校区、人口にすれば6000人くらいでしょうか、そのくらいの規模だと顔の見える自治が行えるだろうということでした。
ただそれが閉じられるのではなく、近隣につながり、世界に開けていくのがいいと感じました。
また、数年前に自治会長をやらせてもらいましたが、その時に改めて、いわゆる基礎自治体というのが、生活的にはつながってこないと感じました。
1970年代の自治省によるコミュニティ政策も、私には違和感があります。
私がいう組織パラダイムの典型です。
自治は、団体自治と住民自治があります。
そろそろ軸足を住民自治に移す時です。
住民自治に移せば、国家財政も自治体財政も状況は一変するでしょう。
ただ、そこに寄生する企業の利益は減るでしょうが。
最近、小熊英二さんの「社会を変えるには」(講談社現代新書)で、次の文章に出会って、驚きました。
復興・復旧事業の多くは、従来から公共事業に強かった、東京などに本社のある大手ゼネコンが請負いました。阪神大震災後の5年間で被災地に投じられた復興事業費のうち、約9割はこうして被災地の域外に流出したと見積られています。自治のパラダイムを変えないと、この繰り返しです。
動機はともかく、泗水町住民の決断と行動にエールを送りたいです。
他のところも旗をあげてほしいです。
ちなみに、私の住んでいる我孫子市は平成の大合併には加わりませんでした。
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