■節子への挽歌1834:家族会議
節子
節子を見送って5年。
ようやくわが家族も、みんな落ち着きだしたように思います。
私もそうですが、やはり家族の一員がいなくなってしまうと、その修復には5年くらいは必要なのでしょう。
もちろん落ち着きだしたといっても、みんなそれぞれに大きなダメッジを受けたままであることはいうまでもありません。
私もそうですが、娘たちもそれぞれに大きなダメッジと人生の変更を余儀なくされています。
昨夜、結婚した娘も含めて、家族会議になりました。
ちょっと問題が起こったからです。
節子に救いを求めたいほどの、大変な会議でした。
みんなそれぞれにストレスを溜め込んでいたのです。
でもそのおかげで、それぞれのダメッジへの理解が、お互いに少しだけ深まりました。
家族会議は、わが家の文化の一つです。
何か問題があると、みんなで話し合うのです。
節子がいなくなってからも、その文化は辛うじて続いています。
わが家の家族会議は、時に修羅場になります。
みんなが平等に話し合います。
価値観はそれぞれかなり違います。
また、父親だからといって、私が特別の立場を得られるわけではありません。
私も真剣勝負です。
そして、多くの場合、娘たちのほうに理があることが多いのです。
それがわかるだけ、私のほうが、まだ娘たちよりもリード力があるということですが。
しかし、娘たちの辛らつな指摘には、気づかされることが多いです。
昨夜の家族会議も、私には衝撃的でしたが、今日は間違いなく、昨日の家族会議以前よりも、みんな晴れ晴れしていました。
たぶん私も含めて、全員、昨夜はあまり眠れなかったのではないかと思いますが。
この文化を創ってくれた節子には感謝しなければいけません。
娘にとって、失うのが父親か母親かでは全く違うでしょう。
最近、そのことを痛感しています。
家族にとって大切なのは母親なのです。
経済的には父親のほうが大きな役割を担っていることが多いのかもしれませんが、生活面では父親の役割などほとんどないようにさえ思います。
節子がいなくなって以来、私自身、節子の不在を何も埋められないことに気づかされています。
男性は、まさに女性に寄生する存在なのかもしれません。
昨夜の娘たちとの話し合いで、節子の看病を果たして私は十分にしたのだろうかという思いがまた頭によぎりだしました。
娘からそう指摘されたわけではありません。
しかし、娘たちの受けたショックの話を聞いていると、自信が崩れてしまいます。
母親を失うよりも妻を失うほうが重大事だと、私は勝手に思いすぎていたことにも、気づかされました。
もちろん今でも、実はそう思って入るのですが。
節子がいない家族会議は、私にはこたえます。
今朝のお祈りに、思わず、「節子、助けてほしいよ」と声に出してしまいました。
でもまあ、今日は、2人の娘たちに大いに助けられて、元気が戻ってきました。
節子のおかげかもしれません。
ありがとう、節子。
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