■節子への挽歌1828:5回目の命日
節子
今日は5回目の命日です。
いろいろな方からメールももらいました。
自分の命日でもないのに、伴侶の命日なのに、メールをもらうのも少し不思議な気がします。
命日は、遺された遺族のためにあるのだということを、改めて実感しました。
今朝、家族みんなでお墓参りに行きました。
いつものように私が般若心経を唱えたのですが、なぜかスムーズに出てきません。
いつもはちゃんと自然に口から出るのですが、今日はかなりいい加減な般若心経でした。
遠くのSさんからは、
「今日は節子奥様の祥月命日。遠方ではありますが、香を焚きご冥福をお祈りいたします。お訪ねした時の写真を立て、節子奥様から頂いた手紙も飾りました」
とメールが来ました。
そういえば、先日、献花に来てくださった時に、写真の話がでましたが、その写真を見せてもらえばよかったです。
たぶんSさんは、お持ちになっていただろうと思います。
まだまだ私に精神は落ち着いていないようです。
近くのSさんは、
「佐藤家の大切な時を静かに過ごされるようお祈り申し上げます」
と書いてきてくれました。
その中間くらいの距離のところのFさんは
「今日は、奥様の命日ですね。お参りには伺えませんが、鳩居堂のお線香「か津ら」をあげてお参りさせていただきます。奥様と穏やかな語らいの時でありますように」
と書いてきてくれました。
夕方、画家のSさんから残暑見舞いが届きました。
それで昨年の命日のことを思い出しました。
昨年の命日には、Sさんから長いメールをもらったのです。
偶然ですが、僧籍を持つ友人からも電話がきました。
なぜか私にお布施をくれるのだそうです。
節子が息を引き取った時にご夫婦でとんできて、枕経をあげてくれた人です。
節子もよく知っている人です。
お坊さんにお布施を差し出したことはありますが、お坊さんからお布施をもらうのもめずらしいかもしれません。
しかし、よりによって、どうして今日、電話してきたのでしょうか。
これも節子の導きかもしれません。
いろいろな人に心にかけてもらって、感謝しなければいけません。
そのおかげで、今日も静かに過ごせました。
昨日までは、位牌壇の前は真っ白でした。
さすがに白すぎたので、昨日、わずかに淡い色の花も活けてもらいましたが、ユリとランの白さに負けていました。
今日は、カラフルな花を娘の友だちが持ってきてくれたので、雰囲気が少し変わりました。
やはり白すぎると元気が出ないですが、華やかになると元気が出ます。
それにしても、娘の友だちまで覚えてくれているとは、節子も果報者です。
節子がいなくなってからの6年目が始まりました。
今年はもう少ししっかりしようと思い出しています。
節子はもう、戻ってはこないでしょうから。
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