■世界の脆さ
アメリカ人によって創られた、イスラム教預言者ムハンマドを中傷する映像作品が、中東に再び嵐を起こしています。
2010年にチュニジアのジャスミン革命から広がった「アラブの春」のエネルギーは、まだまだありあまっているのかもしれません。
そのエネルギーをどう処理するかは、組織にとっても個人にとっても、そう簡単ではないでしょう。
しかし、その処理の仕方によっては、歴史が大きく変わります。
ネグリ&ハートは著書「マルチチュード」のなかで、マルチチュード(大衆)の持つ両義性について述べていますが、中東の状況は、まさにマルチチュードのエネルギーの恐ろしさと頼もしさを物語っています。
私が恐ろしいと思ったのは、マルチチュードを暴発させることのあまりの容易さです。
今回は、一人の人の映像作品でした。
つまり、いまや一人の人の力で、世界を壊すことができるのです。
核爆弾も恐いですが、情報技術はもっと恐いように思います。
もちろんこれは決して「偶発」ではなく、「意図」が働いています。
その「意図」に恐さを感じます。
ネグリは著書のなかで、「コミュニケーションを通じて動員された共は、ある地域での闘いから別の地域での闘いへと拡大していく。ある地域で起きた反乱が共通の実践や欲望のコミュニケーションを通じて、あたかも病気が伝染するように別の地域へ伝わるのだ」と書いています。
イスラム世界は、その理念における平和性にもかかわらず、「病気」が伝達しやすいつながりを持っています。
しかもその題材が、自分たちのアイデンティティの立脚点であるムハンマドであれば、小異を超えて大同してしまうでしょう。
まだまだ深く広がっていく可能性があります。
それは、イスラムの教義とは無縁です。
日中をめぐる尖閣諸島問題もまた、マルチチュードの爆発力の引き金になっています。
尖閣諸島がどこの国に属しようが、ほとんどの人にはあまり関係はないでしょう。
にもかかわらず、中国中の都市で暴徒化するほどのデモが広がっています。
デモに参加する人たちの怒りの向かう先は、たぶん日本ではないでしょう。
実際には尖閣諸島などどうでもいいように思います。
しかし、にもかかわらずそれは、だれかの「意図」に利用されるでしょう。
その「意図」は、しかしデモで騒いでいる人には見えないでしょう。
テレビでデモに参加した人たちは、いったいなんに怒りを感じているのか。
そして、何のために暴徒化しているのか。
見ていると、なんと馬鹿げたことと思いますが、冷静に考えれば、私自身もたぶん似たような行為をしているようにも思います。
デモの後に見えるものは何か。
デモの先に見えるものは何か。
その風景は、人によって違っているでしょう。
しかし、それらが間違いなく示していることは、世界の脆さです。
世界は実に脆くなってしまいました。
そして、その脆さを利用する「意図」が存在している。
実体を大きく超えてしまった世界の脆さこそ、情報社会の本質かもしれません。
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