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2012/09/13

■節子への挽歌1837:家族の文化

節子
敦賀から新米が届きました。
敦賀には節子の姉が嫁いでいて、わが家のお米はいつもそこから送ってもらっています。
お米と一緒に野菜も届きます。

節子がいたら、今でも毎年、敦賀には行くのでしょうが、最近は久しく行っていません。
敦賀には、黒メダカもいれば、沢蟹もいます。
ですから以前は、敦賀に行くたびに、近くの川に行って、沢蟹をつかまえて、わが家の庭に放していました。
しかし、庭での放し飼いは難しく、定着していません。
ある朝、庭に行ったら、沢蟹が歩いている、などという光景をいつも夢見ていますが、実現していません。
私のこの希望を、本気で理解してくれていたのも節子です。

節子たち姉妹は、とても仲良しでした。
性格はかなり違っているようにも思いますが、それが逆にうまくかみ合っていたようです。
私にも性格の違う兄がいますが、なかなかかみ合わずに反発してしまいがちです。
仲が悪いわけではありませんが、会うとよく言い合いになります。
血のつながりのある関係は、ある意味で悩ましいものです。

血のつながりなどまったくない、私と節子が、なぜかみ合ったのかも不思議です。
性格もかなり違っていたはずですし、何よりも文化が違いました。
しかし、その違いがむしろ新しい文化を創りだしたのです。

最近娘たちから、わが家の文化(生活ルール)は、友達の家とかなり違っていたとよく言われます。
そのため娘たちは、苦労したようで、私たちに反発していたこともあるようです。
しかし、その内容を聞きながら、私はそうしたわが家の文化に満足しています。
その文化を守ってくれた節子には、やはり感謝しなければいけません。
いま私が、娘たちに支えられているのは、そのおかげなのですから。

日本の家族の文化が壊れてきているのが、とても残念です。
福祉の社会化などという名前で、福祉が市場化されているように、家族もまた市場化されてきています。
自殺や孤立死が話題になっていますが、それはたぶん私たちの生き方が必然的に生み出してきたことです。
たぶん今とられているさまざまな方策は、役には立たないでしょう。
そんな気がします。
でもやらなければいけないのが悩ましいです。
15日は自殺のない社会づくりネットワークの交流会をやりますが、いつも出てくるのは「家族」の話なのです。
いまさら何を、と思うことも少なくはないのですが。

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