■理念の政治か調整の政治か
自民党総裁と民主党代表がだれになるかで、候補者が盛んにテレビで発言しています。
それを聞いていると、それぞれの候補者の政治観が見えてきます。
そして、聞けば聞くほど、私は政治への関心が失せていきます。
まるで学級委員長を選ぶような気がするからです。
日本の首相は毎年変わるといわれますが、このレベルであれば、毎学期変わったほうが良いようにも思います。
アリストテレスは、政治は善い社会を目指すためのものと考えました。
善い社会を目指すためには、理念が必要です。
それが明確でなければ、善いかどうかを評価する基準がつくれないからです。
したがって、理念を基本とする政治といってもいいでしょう。
ではいまの9人の人が語っている言葉の中に理念はあるでしょうか。
原発ゼロは理念かもしれません。
自民党の5人は、実現可能性を明確にせずに、原発ゼロを言うのはおかしいといいます。
しかし、理念を目指す政治とは、まずは理念からスタートします。
実現可能な政策を選ぶのではなく、理念を実現するための政策を考えるのです。
その意味で、自民党の5人は理念志向ではありません。
では原発ゼロを目指すことを匂わせている民主党の4人はどうか、
彼らの言葉には、なぜ原発ゼロかが全くと言っていいほど語られていません。
現に彼らは、原発再稼動や原発輸出を推敲している政府与党の幹部ですから、理念からではなく、世論への迎合からの原発ゼロ論でしかありません。
彼らにも理念は感じられません。
石破さんや安倍さんのように、戦争が出来る国家を目指すと言うのは理念と言えるでしょうか。
戦争放棄は理念ですが、再軍備は理念ではありません。
そのふたつは同じ次元の話ではないからです。
これに関しては、これまでも書いてきたので省略します。
民主党の争点のひとつはTPPですが、本来、TPPは理念から語られるべきテーマです。
しかし、4人で語り合っているTPP論は、理念とは全く別の次元です。
結局、民主党の4人も理念から政治を発想していないように思います。
1960年代以降、「善い社会」の理念を語った首相は、鳩山由紀夫さんだけです。
いうまでもなく「友愛社会」です。
しかし、取り巻きの政治家はみんな理念には関心なく、現実を基本にした調整の政治家でした。
そして国民もまた、理念を求めてはいませんでした。
理念よりも目先の問題解決が、多くの人たちの関心事でした。
ですから見事に鳩山さんは挫折しました。
なんともまあさびしい社会になってしまいました。
理念を目指さないのであれば、世論に迎合し、アメリカに迎合していけばいいでしょう。
そして、それならば、学級委員長方式で学期ごとに首相を変えればいいでしょう。
総理になるかも知れない9人の人たちの発言を聞いていると、いささか暗澹たる気持ちになりますが、学級委員長選びだと思えば、気も楽になります。
しかし、学級委員長を手玉に取るのは、官僚の得意とするところでしょう。
そして官僚は、何も決まらずに問題が山積していくことを望むものです。
それが近代のパラダイムなのですから。
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