■節子への挽歌1843:記憶があるのに記録がない
節子
テレビで琵琶湖湖西線を走る番組をやっていました。
何気なく見ていたら、懐かしい風景がたくさん出てきました。
そのうちに、堅田の浮御堂がでてきました。
節子と一緒に行ったのはいつだったでしょうか。
節子はもう発病していましたが、その時は元気でした。
2人で浮御堂から懐かしい琵琶湖の対岸を見ていたことを思い出します。
対岸は、私たちが出会った大津なのです。
いつ行ったかを思い出したくて、私のホームページの週間記録を探しました。
ところがいろいろと検索しても出てこないのです。
写真を撮ったことを思い出して、パソコンに取り組んでいる写真アルバムを探してみました。
やはり出てきません。
夢だったのでしょうか。
そんなはずはありません。
実は、こういうことが前にも一度ありました。
節子と一緒に行ったはずなのに、そして記録も残し写真もあるはずなのに、見つからないのです。
もしかしたら、私の記憶が間違っているのでしょうか。
それとも、節子が一緒に持ち去ってしまったのでしょうか。
浮御堂にはたしか観音菩薩が祀られ、そのまわりに千体の小さな菩薩が囲んでいた記憶がありますが、これも記憶違いかもしれません。
そんなことを考えていたら、たしかあの時に、浮御堂で何かとても大切なことを話していたような気がしてきました。
しかし、それも思い出せそうで思い出せません。
湖西線は近江塩津で北陸線に接続し、テレビの番組はそこから敦賀へと向かっていました。
敦賀駅は節子と毎年何回かは利用していました。
この数年、行ってはいませんが、当時のままでした。
懐かしい風景です。
この駅にもいろいろな思い出があります。
もちろん敦賀のまちには、山のような思い出があります。
いやあるはずです。
しかし、節子がいないせいか、なかなか思い出せません。
思い出があるのに、記録がない。
思い出があるはずなのに、思い出せない。
何かとても不思議な気持ちです。
ところで、いま思い出したことがあります。
そういえば、今朝の明け方、節子の夢を見ました。
今日はそのことを書くつもりだったのです。
すっかり忘れていました。
でも、その夢を見たのは今朝でしたでしょうか。
記憶というのは実にあいまいで、危ういものです。
いや現実そのものも、そうなのかもしれません。
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