■節子への挽歌1845:マントラの効用
節子
最近ちょっと朝の勤めをおろそかにしています。
般若心経をぜんぶ唱えるのではなく、最後のエッセンスの
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経
だけですませてしまうわけです。
「ぎゃていぎゃていはらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」
と読みます。
実はこの正確な意味は必ずしもわかっていないようですが、一応、次のような意味とされています。
「煩悩の此岸を去って,完全に彼岸に到達せし者よ。悟りあれ,幸あれかし」
つまり、死者に対しては悟りを得たねと讃え、此岸にいる自らには、悟りの彼岸に近づけと諭しているわけです。
これは、いわゆる「真言」、マントラですが、この真言は宗派を超えています。
言葉は魂に暗示をかけますが、毎日、このマントラを唱えていると、いつしか自らも彼岸に近づいたような気になります。
もし唱えたことのない人がいたら、ぜひ試してください。
1か月も毎朝、唱えていると、どこか不思議なあったかさに包まれるかもしれません。
キリスト教の場合は「アーメン」が、ナチズムの場合は「ハイルヒトラー」がマントラです。
アーメンとハイルヒトラーを並べると不謹慎と思われそうですが、だれもが組織行動を取ろうとする時には、こうしたマントラが支えになります。
私には、もう一つ、マントラがあります。
それは言うまでもなく、「節子」です。
挽歌を書こうとパソコンの前に座り、まずなにも考えずに「節子」と入力します。
そうすると不思議と書くことが浮かんできます。
話がそれてしまいましたが、毎朝の勤めを簡略版にしてしまっているためか、時々、全文を唱えようと思うとつかえてしまうことがあるようになってしまいました。
お勤めは、毎日きちんとしなければいけません。
そうしないとマントラの効用も消えてしまいかねません。
明日からまた、きちんと般若心経を唱えることにしましょう。
それは、生活のリズムの崩れを正すことにもなるでしょうから。
| 固定リンク
「妻への挽歌10」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2000:2000回を迎えました(2013.03.01)
- ■節子への挽歌1999:節子の手作り雛人形(2013.02.28)
- ■節子への挽歌1998:ルクソール(2013.02.27)
- ■節子への挽歌1997:記憶の共同体(2013.02.27)
コメント