■大拙さんの知恵「それはそれとして」
昨夜、NHKテレビで「領土問題」をテーマにした日韓の識者の話し合い番組をやっていました。
私は、竹島問題の部分だけ見ましたが、そこで知ったことがあります。
韓国では最近、テレビ放送の最後などに竹島の映像を流しているそうです。
日本では富士山を流しているのに相当するようです。
つまり、韓国にとって竹島は、日本による侵略の象徴なのだそうです。
日本の侵略が竹島から始まったからです。
番組に出演されていた神戸大学の木村幹教授と韓国の出演者が話してくれました。
韓国にとって、竹島は日本における富士山と同じような意味を持つということを、私は全く知りませんでした。
それを聴いていて、同じ日の朝、テレビで見たばかりの鈴木大拙さんの話を思い出しました。
大拙さんの秘書的な役割を長年されてきた岡村美穂子さん(鈴木大拙館名誉館長)が語っていた言葉です。
鈴木大拙さんのところには、さまざまな人たちが相談に来たそうです。
大拙さんは、双方の意見を十分に聞いた上で、「それはそれとして」としてと言って、話し出すことが多かったそうです。
お互いの「分別」をきちんと踏まえた上で、「それはそれとして」と次元を変えて、前に向かって進むことを促したわけです。
昨日の話し合いも、日韓いずれもが、過去は過去としてこれからどうするかが大切だと、言葉としては話していました。
しかし、その一方で、実際には「それはそれとして」ではなく、「それ」にこだわっているのがはっきりと伝わってきました。
櫻井よしこさんは、その姿勢が特に強かったのが印象的でした。
分別が邪魔をして、みんな「それはそれとして」にはなれないのです。
知識の弊害を、改めて教えられました。
領土問題は、利害関係者の双方の認識の上に成り立ちます。
民主党政府は、竹島にも尖閣諸島にも領土問題はないと言っていますが、そんなことはありえません。
領土問題は、一方が疑問を持つ限り、存在します。
「領土問題はない」という独りよがりの認識こそが、最大の問題なのです。
歴史事実をいくら重ねても、一方の正当性を証明する事は無理でしょう。
領土問題を論理的に解決するのは、戦争による決着か、一方的な放棄しかありません。
しかし、そのいずれも、おそらく本当の解決にはなりません。
だとしたら、「それはそれとして」という大拙さんの視点こそが有効ではないかと思います。
大拙さんのような、知恵者がでてこないものでしょうか。
「それはそれとして」。
実に平和な言葉です。
私も早く、その言葉が素直に言える心境に達したいものです。
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