« ■節子への挽歌1839:中学時代の写真 | トップページ | ■節子への挽歌1841:長寿への不安 »

2012/09/16

■節子への挽歌1840:岡山のぶどう

節子
岡山の友澤さんからぶどうが届きました。
友澤さんご夫妻も、お元気そうです。
電話をしようかと思ったのですが、手紙を書くことにしました。

節子の友だちから、今も贈り物が届けられます。
5年経ってもまだ節子を思い出していてくれることはうれしいことです。
でも私は、実はお礼の電話も手紙も苦手なのです。

節子がいた時には、誰かから贈り物をもらっても、いつも節子に礼状を書いてくれないかと頼みました。
節子は、私と違って、パソコンでは手紙は書きませんでした。
パソコンの手紙は手紙ではないといつも言っていました。
その上、ていねいに下書きまでして、私に読み聞かせ、これでいいかと念を押してから清書していました。
そういうところは、節子は実にていねいでした。
節子は、手紙を書くのも好きだったのです。

節子がいなくなった後、数人の人が、節子が送った手紙を送り返してきてくれました。
私への心遣いです。
しかし、これはけっこう辛いものがあるのです。
私が初めて見る手紙もありましたが、節子はいつも手紙を出す時に、私にも見せてくれていたので、だいたいにおいて内容には見覚えがありました。
過去を思い出すのは、うれしいだけではないのです。

岡山の友澤さんは、節子がヨーロッパに一緒に旅行した仲間です。
私も何回かお会いしましたし、節子のお見舞いや献花に、わが家にも2回ほどご夫妻で来てくれました。
私たちよりも年長で、節子はとてもよくしてもらっていました。
5年前、友澤さんは、闘病中の節子に岡山の美味しい巨峰ぶどうを食べさせたくて頼んでいたのに、節子はそれが届く前に逝ってしまったのです。
以来、毎年、友澤さんはぶどうを送ってきてくれます。

今年のぶどうは、いつもよりも大房でした。
天候の加減でしょうか、今年の果物はみんな大きいです。
節子に供えさせてもらいました。
小食の節子は、一粒でもう満腹になるそうです。
私たちも、明日はお相伴させてもらいます。
果物は朝。
これも節子の文化でした。

|

« ■節子への挽歌1839:中学時代の写真 | トップページ | ■節子への挽歌1841:長寿への不安 »

妻への挽歌10」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1840:岡山のぶどう:

« ■節子への挽歌1839:中学時代の写真 | トップページ | ■節子への挽歌1841:長寿への不安 »