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2012/10/18

■居座りの時代

最高裁が参院選での1票の格差を「違憲状態」と認める判決を下しました。
これで、なんとわが国の立法府である国会は衆参いずれも今「違憲状態」とされたわけです。
司法が「違憲」と認めたことを立法府や行政府が、無視することはめずらしいことではありません。
これに関しては、このブログでも何回か書きました。
たとえば、「空自イラク派遣は憲法9条に違反」という判決もありましたが、無視されました。しかし、考えてみると、国の基本事項を決める役割にある国会議員が違憲状態にある方法で選ばれているというのはおかしな話です。
要するに正当な代表とは言えないということですから。
5倍の格差はおかしいですが、なぜそれが簡単に変えられないかというほうが私にはもっとおかしく思います。
変えるのは極めて簡単だと思うのですが、変えようと思っている人がいないということでしょう。
私自身、おかしいとは思うものの、自らが変えるための努力をしようという気はおきません。
だから大きなことは言えませんが、当事者である国会議員はどう思っているのでしょうか。
国民に支持されなくなっても政権は維持できることもおかしいですが、まさに日本の政治体制がおかしくなっているのだろうと思います。

そこにあるのは「居座り」です。
一度獲得した利権の席には、ともかく長く居座りたいとみんな思うのでしょう。
そして当事者でない人たちは、おかしいと思いながら、自らの居座りのために(つまり生活を守るために)実際には動きません。
みんな忙しくて、ほかの事にまで時間をさけないのです。
さびしい時代になってしまいました。
それによって何が失われるかを考えなければいけません。

最近、次々と遺体がでてくるおぞましい事件がテレビで報道されています。
私は殺人事件などには全くと言っていいほど興味を持てない人間ですので、事件のことはあまり知りませんが、ここでも「居座り」を感じます。
この事件と野田政権が、私にはどうしてもだぶって見えてきます。
さらにいえば、私たち自身の日常生活においても、私たちは居座りの思考に陥りやすいのです。
しかし居座りから得られるものは、瑣末な利益でしかありません。
仮に100億円のお金が得られても瑣末であることにはかわりはありません。

私は居座らない生き方をしたいと思っていますし、これまでそうしてきたつもりです。
しかし居座りの誘惑は大きいのです。
心しなければいけません。

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