■節子への挽歌1860:心から悲しめることの幸せ
さだまさしさんの「いのちの理由」という曲があります。
法然上人800年大遠忌を記念してつくられた曲だそうです。
法然は浄土宗の開祖で、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、みんな平等に往生できるという専修念仏の教えを説いた人です。
さだまさしさんは、この曲の作詞のために、法然上人の資料を読み込んだそうですが、そこから生まれてきた言葉が「幸せになるために誰もが生まれてきたんだよ」というフレーズだったそうです。
この曲はできたのは、2010年ですから、節子は現世では聴いたことはありません。
しかし、節子に聴いてほしい曲です。
いや、節子と一緒に聴きたい曲です。
一人で聴いていると、どうしても涙が出てきてしまいます。
それに、少しだけ納得できないのです。
曲はとても好きなのですが、歌詞に少しひっかかるのです。
http://www.youtube.com/watch?v=G-9M2cuDA48&feature=related
最後の歌詞は心に沁みてきます。
私が生まれてきたわけは
愛しいあなたに出会うため。
私が生まれてきたわけは
愛しいあなたを護るため。私が生まれてきたわけは節子に出会うためだったと言うことには躊躇はありません。
しかし私には節子を護れなかったという悔いが、いまも大きく覆いかぶさってきます。
だからこの曲は、実はあまり素直には聴けないのです。
それに、こんな歌詞もついています
春くれば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
幸せになるために誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後から 喜びの実が実るようにしかし、悲しみの後に喜びが来るはずはありません。
悲しみの後ろにあるのは、ただただ悲しみだけなのです。
だからといって、幸せではないということではないのです。
心から悲しめることの幸せが、最近少しわかってきました。
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