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2012/10/21

■節子への挽歌1876:最後の1枚を燃やしてしまう勇気

節子
今日も写真の話です。
私がもう10回以上見た映画「ボーン・アイデンティティ」シリーズがあります。
その第2作目で、隠棲していた主人公のジェイソン・ボーンは愛する伴侶を殺害されます。
そしてまた「闘いの生活」へと戻っていくのですが、その時に愛する人との思い出の品々を燃やします。写真も、です。
しかし1枚だけ燃やさずに残すのです。
ところが、その1枚の写真も最後に燃やしてしまいます。

まあなんでもないシーンなのですが、私は最初観た時からこの最後のシーンが気になって仕方ありません。
なぜ写真を残し、なぜ燃やしたのか。
この映画の監督は、ディテールのとてもこだわっています。
ですから必ず深い意味があるのです。
いくらでも意味は見つけられますが、私の関心は、自分ならどうするか、です。
最後の1枚を燃やしてしまう勇気があるかどうか。

いまはまだ、最初の1枚も燃やせないでいます。
もちろん写真だけではありません。
私にとっては大きな意味を持っていても、私以外の人、たとえ娘たちであろうと、何の意味もない節子の遺品がまだたくさんあります。
節子の引き出しや書類棚などは、まだ5年前のままです。
再発を知ってしばらくして、節子は身辺整理をしたいといいました。
私は、それだけはやめてほしいと頼みました。
いまから思えば、間違った判断だったかもしれません。
節子は遺影の写真も選びたいといいました。
それも止めてもらいましたが、節子はいつの間にか何枚かの写真を選んでいました。
それもとても後悔しています。
もっと一緒になって、探せばよかった。そんな気もします。

節子が選んだ写真は、必ずしも私の好みではありません。
でもいまは、その写真が、「1枚の写真」になりかねません。
それは節子一人の写真です。
葬儀の写真に使われたのですが、いま考えると、私と一緒にとった写真にすべきでした。
葬儀の遺影だから本人だけの写真でなければいけないと思い込みがちですが、私と2人の写真を使うべきでした。
節子の葬儀は、私の葬儀でもあったのですから。
しかし、それに気づいたのはつい最近です。
私の葬儀には、節子と一緒の写真を使ってもらおうと思います。

ところで、私はまだしばらくは節子の写真を燃やせないような気がします。
その自信がまだないのです。
節子のすべてを心身に取り込んだ自信が。

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