■節子への挽歌1886:米原での心揺らぎ
今日は仕事の関係で大阪に向かっています。
いま米原を発車したところです。5分ほどの停車でしたが、何やら心が穏やかではありません。
名古屋までずっと資料を読んだり、iPadを見たりしていて、車窓からの眺めをあまり見ていませんでしたが、岐阜羽島辺りから目が離せなくなりました。
そして米原駅。
しばらく停車ですが、上りのホームがよく見えます。
そして突然の胸騒ぎ。
この光景にはたくさんの見覚えがあるのです。
節子の実家は米原から北陸本線で少し行った高月です。
ですから私たちは毎年、数回はこの米原駅で乗り換えていました。
山のような思い出があります。
そのせいでしょうか。
ともかく心が穏やかではありません。
ここまで書いて、次の京都まで車窓からの風景にみとれていました。
とても懐かしく、とても哀しい気分でした。
米原から京都までの風景は、私が会社に入ってから4年ほどを過ごした場所であり、節子との暮らしを始めた場所でもあるのです。
節子がいなくなってからこんなにしっかりと景色を見たことはありません。
節子がいなくなってから、もう5年。
久しぶりに見た湖南の風景は大きく変わっていましたが、湖北や湖東の風景は以前と同じような気がします。
京都に着きました。
また心がゆらぎます。
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