■節子への挽歌1885:なぜ歳とともに時間は速く進むのか
節子
大発見です。
昨夜、また夜中に目が覚めてしまい、いろんなことを考えているうちに、
歳をとると時間の進み方が速くなってしまうのはなぜだろうかという問題に行き着きました。
そこで大発見をしたのです。
歳をとると人生の残り時間は理論的には少なくなります。
ということは、人生における時間の意味が変わってくるということです。
たとえば、私の余生が10年だとし、娘の余生が40年だとします。
そうすると、今の時点で、1年は、私のすべての持ち時間の1/10ということになります。
ところが娘にとっては、1/40ということになります。
つまり、娘よりも私のほうの時間の進み方は4倍になるわけです。
たとえば浴槽の水を抜く様子を思い出してください。
浴槽の栓を抜いても最初はなかなか水量は減っていきませんが、水が少なくなると見る見るうちに水が減っていくように感じます。
似たようなことはいろいろとあります。
つまり、意識している自らの残りの人生時間(それが正しいとは限りません)が短くなればなるほど、時間意識が高まり、その進み方が速く感ずるということです。
そのため高齢になればなるほど、時間は速く進むように感ずるのです。
なかなか論理的で、おそらく数式で書けばもっと「もっともらしく」なるでしょう。
それがどうしたといわれそうですが、節子は私と違って、次の誕生日は迎えられないかもしれないと意識していました。
だとしたら、その時間の進み方は私たちとは全く違っていたということに気づいたのです。
しかし、その違いに、節子も私も気がついてはいなかった。
いえ、むしろ私たちは、時間の感覚については逆に捉えていました。
たとえば、節子と散歩に行くと、節子の歩く速度は私の1/10以下でした。
だから節子のほうが、時間がゆっくりと進んでいると思っていました。
しかしそれは反対だったのです。
10メートルの坂を登るのに節子は2分、私は10秒とします。
さてどちらの時間が速く進んでいるでしょうか。
いうまでもなく、節子です。
わかってもらえたでしょうか。
だから、それがどうしたというのだと、また言われそうですね。
しかし、なんだかとても大発見のような気がしませんか。
そう思いませんか。
思わない?
やはりこれは体験しないとわからないのかもしれません。
節子がいなくなってから、私の時間感覚はもうぐちゃぐちゃなのです。
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