■節子への挽歌1858:説子と節子
節子
昨日、福岡の説子さんから電話がありました。
権藤説子さんです。
小宮山さんが福岡に行くというので、紹介したのです。
続いて小宮山さんからも電話がありました。
とても楽しい出合いだったようです。
お2人がとても打ち解けた関係になった一つの理由は「説子」という名前だったそうです。
小宮山さんのお姉さんの名前が、同じ「説子」だったのです。
そのおかげで、ちょっとおかしい展開になり、権藤さんが笑い転げながら私に電話してきたわけです。
まあそれだけの話なのですが、名前には奇妙な力があるようです。
「説子」と「節子」は音としては同じです。
しかし文字にするとイメージがかなり変わってきます。
話し言葉では同じでも、文字の世界では全く違った印象が残ります。
こういうことはたくさんあります。
そういえば、数日前に、この挽歌を偶然に見つけた「中野節子」さんという方がコメントを書き込んでくれました。
「偶然なのか必然なのか…。私の名前は、中野節子と申します」と。
その人は、ブログで、エジプトの中野さんの記事まで読んでくれて、「縁」を感じてくれたのです。
名前は大きな意味を持っています。
私は今も、娘たちから名前に関しては叱られています。
それなりの思いをもって、命名したのですが、まあ少し反省しています。
節子がいたら、応援演説をしてくれるのでしょうが。
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