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2012/10/11

■「誰も全体を見ていなかった」

今朝の朝日新聞の「カオスの深淵」に出てくる記事です。
2008年11月、ロンドン大学政治学院の新築ビル開所式で、来賓のエリザベス女王が居合わせた経済学者たちになにげなく質問しました。
「どうして、危機が起きることを誰もわからなかったのですか?」
それに対して誰も十分は返答ができず、後日、学者や実務家が集まって討議し、手紙で女王に報告したそうです。
手紙に署名したティム・ベズリー教授の言葉が載っています。
「誰も全体を見ていなかった」。
現代世界の本質を示唆する言葉です。

私は、2008年の金融破綻は「誰も見ていなかった」とは思っていませんし、むしろ「誰かが意図していた」と思っていますが、しかし、学者や専門家にはそうした見識のある人はそう多くなかったことはよくわかります。
学者や専門家の関心は、世界ではないからです。
しかし、普通の常識的な判断力のある人であれば、2008年の金融危機は予想できたでしょう。
難しい理論などは不要です。
ただきちんと生活していれば、当時の金融状況は、どう考えても長く続くことには無理があるとわかったはずです。
学問のあり方が変わりだしているのです。
生命や生活から、改めて学の体系を構築し直すべきだと私は思います。

これは何も世界金融危機だけの話ではありません。
いまの日本の政治もまた、各論的な最適化を目指して進んでいます。
それは以前書いたように、理念ではなく目先の問題解決で動いています。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2012/09/post-7345.html
おそらく「誰も全体を見ていない」のでしょう。
全体を見るためには、理念や価値観が不可欠です。
つまり全体を束ねる芯がなければ、全体は姿を現しません。
言い換えれば、どこから見るかで全体像は変わってしまうのです。

よく、新しい歴史は辺境から起こるといわれます。
辺境にいるほうが、全体を見やすいことはいうまでもありません。
しかし多くの人は、ど真ん中のほうが全体が見えるとつい思いがちです。
しかし、人間の目の視界は360度ではないのです。
全体が見えるはずがありません。

ただ辺境は、さまざまです。
東の端か西の端かで、これもまた全体の見え方は違ってきます。
どこに視座を置くかは、理念や価値観によって決まってくるのです。
それが定まっていないと、辺境から見る全体は多様すぎて、やはり見えてきません。
新しい風を起こす辺境とは、実は次の時代の全体の中心なのです。
理念やビジョンが、それを呼び込むのです。
そこを見定めている人には、全体だけでなく、大きな時代の流れも見えてきます。

今の政治は「中央制御室」がない、とよく言われます。
そのため、首相でさえ何もできないわけです。
しかし、そもそも中央制御室という発想が間違っているのかもしれません。
複雑なシステムを論理分解しても、全体は見えてこないでしょう。
いまこそ、ただ素直に「全体を見て感ずる」ことが大切です。
まずは今の自分の生き方を、素直に見てみることから、それは始めなければいけません。

ノーベル賞を受賞した山中教授のすばらしいところは、そうした全体像を見る感覚をお持ちのことではないかと思いながら、テレビでの言動をお聴きしています。
新しい研究者の登場を感じます。

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