■節子への挽歌1883:節子は映画があまり好きではありませんでした
先日、一緒に暮らしだした時の夫婦の日記らしきものを見つけて、読んだことを書きましたが、そのなかに2人で「プロフェッショナル」という映画を観たという記事がありました。
これは西部劇ですが、勧善懲悪型西部劇から、ちょっとややこしい西部劇への過渡期の作品ですので、私の好みでもありません。
もちろん節子の好みであるはずもなく、おそらく京都にでも行ったついでに、また思いつきで映画館に入ったのでしょう。
ところが、部屋を掃除していたら、なんとその映画のDVDが出てきました。
それで、これも何かの意味があるのだろうと、昨日、観てしまいました。
まあ何の意味も発見できませんでしたが。
私は学生時代、西部劇の映画が大好きでした。
それでおそらく節子はそれにつき合わされたのでしょうが、節子は人がばたばた死んでしまう西部劇や時代劇は好きではありませんでした。
したがって、まあ一緒にそういう映画を観たのは、結婚した直後だけだったでしょう。
節子は、その日記にただ1行、「プロフェッショナル」の映画を観たとしか書いていませんでしたので、感想も何もなかったのでしょう。
そもそも節子は映画そのものも好きではなかったような気がします。
考えてみると、一緒に映画に行った記憶があまりありません。
私は一時期、映画評論家になりたいと思ったほど、映画館通いしていた時期もあります。
趣味は違っていたのです。
節子は映画よりも、美術展やコンサートが好きでした。
そしてそれよりも、自然が好きでした。
おそらく節子が私の映画に付き合ったのは、結婚後、数年は別として、年に数回でしかありません。
私は一人で映画を観に行くのは好きではないので、どうしても観たい映画は節子を誘いましたが、私もだんだん映画館に行かなくなってしまいました。
ところで映画「プロフェッショナル」ですが、もっと節子向きの映画を誘えばよかったと反省しました。
そういえば、「大いなる西部」も節子と一緒に観た記憶がありますが、あの映画で節子はグレゴリー・ペックのファンになりました。
こうやって思い出していくと、結婚当初はかなり映画館にも通っていたような気もしてきました。
人の記憶は、ほんとうにいい加減です。
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