■節子への挽歌1863:小鳥が死んでいました
節子
今朝、リビングのガラス戸の外に小鳥が死んでいました。
昨日、留守にしていた間にガラスにぶつかってしまったのでしょう。
わが家は高台にあり、リビングの大きなガラス戸の前方の空間が広がっているので、時々、鳥がぶつかるのです。
大きな鳥であれば、大丈夫ですが、小さな鳥が思い切りぶつかり、うちどころが悪いとこうなってしまいます。
これで2回目でしょうか。
すぐに気づけば、手当てもできますが、昨日は気づきませんでした。
とてもきれいなメジロでした。
庭のサザンカの樹の下に深く穴を掘って弔いました。
節子が好きだった丸い石を乗せ、一輪の花を添えました。
ちなみに、このメジロは節子ではないでしょうね、
節子は、なぜか「鳥(や花)になってちょいちょい戻ってくるから」と言っていたのを思い出しました。
そういえば、昨日留守にしたのは、節子のお墓参りでした。
先日の月命日に墓参りに行くのをさぼっていたので、催促に来たのでしょうか。
鳥がぶつかったところは、まさに節子の位牌壇のすぐ横なのです。
それにしても、鳥を犠牲にしてはいけません。
しかしガラス戸は空を自由に飛び舞う鳥には迷惑なものでしょう。
悪いことをしてしまいました。
メジロの墓標に手を合わせながら、ネアンデルタール人が死者に花を添えていた話を思い出しました。
花は、死者との交流に不思議な効力を発揮します。
花を通して、心が彼岸に通ずるのです。
いままで無意識に節子に花を供えていましたが、そのことにハッと気づきました。
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