■節子への挽歌1879:魚沼の新米
節子
毎年、この季節になるといろんな人が新米を送ってきてくれます。
感謝しなければいけません。
今日は新潟の金田さんから魚沼の新米が届きました。
早速、電話をしたら、まずは節子さんに供えてくださいといわれました。
ますますうれしい話です。
明日にでも供えさせてもらいましょう。
金田さんは節子のことをよく知ってくれています。
会う度に節子の名前が出ます。
金田さんは、私よりも年長で、しかもそう体調が良いわけではありません。
しかし東京にもよく出かけてきますし、精力的にさまざまな活動に取り組んでいます。
節子がいたら、たぶん私もそうしているだろうなと思うことがあります。
伴侶の支えの有無が、行動力に大きく影響するような気がするのです。
節子が元気な時には、いつでも共有の時間が取れると思い、それを疎かにしていたことは否定できません。
いなくなって、初めてそれに気づいても、もう遅いのです。
おそらく多くの人が、こうした間違いをおかしていることでしょう。
教えてやりたい気がしますが、たぶんこれは体験してみないとわからないのです。
金田さんも、この数年、奥様の体調があまりよくないようです。
以前はバレーボールをやったりしていた、とても元気な方でしたが、金田さんのお話ではあまりご無理はできないようです。
それで、金田さんに会う度に、活動もほどほどにして、できるだけ在宅するのがいいとお話しするのですが、相変わらずいろんな活動をされていて、その報告やら相談の電話があるのです。
人の性格は、なかなかなおらないのがよくわかります。
節子と一緒に、新潟に伺えなかったのが、とても残念です。
伴侶がいなくなると、行動が広がる人と狭まる人がいますが、私は間違いなく後者です。
節子の霊が肩に覆いかぶさったのではないかと思うほど、最近はフットワークが悪くなってしまっています。
今月も大阪に用事があるのですが、どんどん日程を遅らせてしまっています。
実に困ったものです。
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