■「働くこと」は「生きること」か
先日、あるビジネススクールで「ソーシャルビジネス」をテーマにした話をさせていただきました。
私のソーシャルビジネス観は、少し一般的ではないのですが、前にも何回か書いているように、マネタリーエコノミーの世界で発想している限り、ソーシャルビジネスとは言わないというのが私の考えです。
そもそも、ビジネスは本来的に「ソーシャル」なものであり、企業の事業とは社会性を持ったはずです。
にもかかわらず、最近、ビジネスに「ソーシャル」という形容詞がついているのは、ビジネスが「ソーシャル」ではなくなっているからでしょう。
ではそれは何かといえば、「マネタリービジネス」です。
まあそういう視点で、少しお話をさせてもらいました。
それを聞いてくれたみなさんからいろんなご意見をいただきましたが、すぐにメールで届いた意見のなかに「働くこと=生きること」に言及した人が2人いました。
そこに反応してもらえたことがとてもうれしかったので、引用させてもらいます。
お一人は有名大企業に勤める40代の、MBAもお持ちの男性です、
本日のお話で最も衝撃的だったのは、マネタイズのないところにビジネスの価値がある、働くこと=生きること、という考え方です。この方は、最近ちょっとマネタイズに疲れつつあり、マネタリーにこだわらない生き方を模索中と書かれています。
私が大切にしている生き方は、一人称で生きるということです。
これも何回もこのブログやホームページで書いてきました。
講義では、ライフワークバランスという発想も否定しました。
ライフにとってワークはとても大事な要素であると私は考えているからです。
次元の違うものをバランスさせようというのは、私には理解できない発想なのです。
一人称で考えると、当然のことですが、「働くこと=生きること」になるはずです。
組織や社会のために生きるのではなく、自らを誠実に生きることが社会を構成している市民の義務だろうと思うわけです。
ちょっと飛躍がありますが、明日からもう少し書き込んでいくつもりです。
もう一人は、専門職の30代の女性です。
私の育った環境のせいか、お金に対する嫌悪感と共にどうやってもお金が問題解決にはどうしても必要なんだというイメージから抜け出せずにいます。この方は、すでにノンマネタリーな仕事にも取り組みだしているようですが、こう続けています。
と、同時に今は恵まれた職場にいますがどうも満たされない思いを抱えています。これは、生きることについて素直に向きあっていないせいかもしれません。
仕事=生きること。その通りだと思います。
今回の授業でのお話は半信半疑ながら心に響くものがありました。半信半疑という表現がとてもうれしいです。
おそらくそれが多くの人の感想だったはずですし、似たようなコメントも数名からもらっています。
半信半疑というのは、まさに一人称の判断です、
「働くこと=生きること」。
これについて、少し何回か書いてみたいと思います。
今日はとりあえず、その予告編でした。
| 固定リンク
「経済時評」カテゴリの記事
- ■政治とお金の問題の立て方(2024.02.02)
- ■デヴィッド・ハーヴェイの『反資本主義』をお薦めします(2024.01.18)
- ■一条真也さんの「資本主義の次に来る世界」紹介(2023.12.14)
- ■資本主義社会の次の社会(2023.10.10)
- ■「資本主義の次に来る世界」(2023.07.24)
「生き方の話」カテゴリの記事
- ■「仕事とは生きること。お金に換えられなくてもいい」(2024.09.20)
- 〔身心力向上への取り組み1〕マイナスの思い込みマインドセットからの自己解放(2024.09.08)
- ■胆嚢摘出手術入院記録10:患者のQOLと病院の責任(2024.08.19)
- ■「おはよう」と「こんにわ」の違い(2024.08.19)
- ■急性膵炎入院報告〔番外編〕:安定・依存な生き方か自由・自立な生き方か(2024.06.30)
コメント