« ■節子への挽歌1880:真夜中に目覚めさせるのは節子かもしれません | トップページ | ■原発の廃炉は可能なのか »

2012/10/26

■子どもとの付き合い方

今日、街中でとても学ぶべき光景に出会いました。
いずれも外国の方ですが、2組の親子に出会いました。
一方は乳母車に乗せた幼児連れの母親、もう一方は3歳くらいの男の子を連れた母親でした。
私のかなり先を親同士話し合いながら歩いていました。
ところが道にとまっていた自動車に、その男の子が興味を引いて見入ってしまいました。
母親たちはそれに気づいて立ち止まりました。
相変わらず母親同士の話をしながらですが。
そして、その男の子が、自動車に見とれている間、何も声をかけずに待っていました。
当然私は横を通り過ぎましたが、気になって後ろを振り返りながら歩調を緩めました。
少したって男の子は観察を終えて動き出しました。
それを待っていたかのように、母親たちもまた何もなかったように歩き出しました。
まあそれだけの話なのですが。

もし私だったらどうするかと思いました。
せっかちな私は、同行者の手前もあって、「どうしたの、早くおいで」とせかしそうです。
あるいは、子どもと一緒に、自動車の話をしそうです。
しかし、この母親たちは何もせずに、ただただ見守っていたのです。
念のために言えば、「待っている」という感じでもありませんでした。
まあよくある風景かもしれませんが、横を通り過ぎるときに、とてもあったかな空気を感じました。
しかも、実に自然なのです。
男の子はなにもなかったように、またとことこと歩き出しました。
そのリズムに合わせて、母親たちもまた話しながら歩き出したのです。

子どもと付き合うとはこういうことなのかもしれません。
とてもいろんなことに気づかせてもらったような気がします。

|

« ■節子への挽歌1880:真夜中に目覚めさせるのは節子かもしれません | トップページ | ■原発の廃炉は可能なのか »

生き方の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■子どもとの付き合い方:

« ■節子への挽歌1880:真夜中に目覚めさせるのは節子かもしれません | トップページ | ■原発の廃炉は可能なのか »