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2012/10/08

■政治が動かないことに腹を立てないために

民主党と自民党の代表選挙が終わったにもかかわらず、わが国の政治は動き出しません。
こんな大変な時に、一体どうなっているのだろうかといぶかしく思いますが、まあ見方を変えれば、そんなものかとも思えます。

ウルリヒ・ベックの「危険社会―新しい近代への道」は、実に示唆に富む本です。
出版されたのはチェルノブイリ原発事業の直前ですが、事故後に書かれたのではないかと思わせられるほどに説得力があります。
福島後の日本の状況も、ベックのお見通しの通りです。

その本でのベックのメッセージの一つは、政治が分化し、サブ政治というべきものが社会にとって大きな位置を占めていくだろうということです。
サブ政治とは、本来政治の領域に属してはいなかった科学技術や経済が政治的な機能を果たしだすということです。
「公権力に裏付けられた政治」と「公権力の裏づけのないサブ政治」と言ったらわかりやすいかもしれません。
政治の方向を定め、執行力を持っている政治は、日本の場合、民主主義の原理が働いています。
つまり国民の選挙によって公権力が与えられ、しかもその意思決定は公開の場で行われます。
しかし、サブ政治の技術や経済の世界は、あくまでも私的な世界であり、民主主義的な意味での正当性は保証されていません。
したがって、サブ政治が大きな役割を果たすということは、明らかに政治の変質です。

ベックはこう書いています。

政治と非政治との間の不明確な転換が生じる。
政治的なものが非政治的になり、非政治的なものが政治的になる。
ベックは、こうした動きを「一種の革命」だと考えています。

こうした「政治の変質」を踏まえて考えると、今の日本の政治状況はわかりやすくなります。
以前、私は日本の首相は生徒会長のような存在になったのだから毎年変わってもおかしくないと書きましたが、いまや首相が決められることはそう多くはないのです。
生徒会の会長を思い出せば、わかってもらえるでしょう。
野田政権が脱原発方針に関して揺れているのは、野田首相の考えに起因しているわけではないでしょう。
決めているのは、あるいは決めかねているのは、技術や経済のサブ政治かもしれません。
内閣をはじめとした政治にあまり期待してはいけないのです。
首相はたかだか生徒会の会長のような存在なのですから。
生徒会の会長の大変さを思いやってやらねばいけません。

でもそろそろ生徒会会長の選挙をしたいものです。
せめてみんなの声を理解してくれる人に、生徒会をゆだねたいですから。
それに、これから寒くなっていきますし。

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