■節子への挽歌1882:思いつきのままの生き方
節子
最近、娘のユカから、私の思いつきのままの生き方を批判されています。
お父さんの思いつきに振り回されてお母さんは苦労しただろうなと言うのです。
まあ考えてみると、そんな気もします。
私の生き方は、かなり「思いつき」を大事にしているからです。
ユカからまた今日そう言われたのは、テレビで高尾山の紅葉がでてきたので、高尾山に行こうと誘ったからですが、外部からの情報にすぐ影響されてしまうのです。
食べ物もそうで、テレビでみるとつい娘に明日はこの食事にしてほしいと頼むわけです。
しかし、明日になるともうそれを忘れていますので、その頼みは無視してもらってもいいのですが、まじめな娘はそれを実現させてくれるのです。
ところがその時には、私の関心は次に移っていますので、さほど喜ばないというわけです。
実に困ったものなのです。
思い付きを、ついつい口に出してしまうことが問題なのですが、
しかし、それが私の性分だから仕方がありません。
節子は、しかし私のそうした性向を学んでいて、まあうまくかわしていましたから、そう苦労はしていなかったでしょう。
それに節子はそもそも忘れっぽかったので、私とはまあお似合いだったわけです。
しかし娘はたまったものではないでしょう。
親子と夫婦とでは、やはり対応は変わらざるを得ないですし。
最近はほどほどに扱われていますが、それでも私の「思いつき」の多さには辟易しているようです。
申し訳ないと、時々思いますが、まあ人の性格はそう簡単には直りません。
節子には、何も考えずに話せましたが、娘にはそうもいきません。
今日は、もう一人の娘のジュンからも私の気楽な発言を注意されました。
いやはや困ったものです。
娘たちは、節子よりも数段しっかりしていますので、歯が立ちません。
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