■節子への挽歌1897:おだて役と押さえ役
節子
人生は勢いで動いているものだということを、この頃、痛感します。
一度立ち止まってしまうとなかなか動き出せないのです。
節子がいた頃は、あまり先のことを考えずに動いていました。
動いていると何とかなるものです。
それに私が動けなくなっても、節子が動いていると、それにつられて私も動いてしまう。
そんな関係でもありました。
でもいまは違います。
一度止まってしまうと、もうずっと動けなくなりかねません。
最近の状況がそうなのです。
それではいけないと思い、大阪に出張したり、友人からまた課題を引き受けたりしてみたものの、その効果はすぐに消えてしまいます。
そして残るのは新しい約束です。
先週も、福島のある施設の人と電話であることを約束してしまったのですが、それがどうしても動き出せずにいるのです。
無理やり動こうとすれば、どこかでひずみが出てしまう。
それで逃避行してみても、事態は一向に変わらない。
袋小路です。
一人で生きていくということはこういうことなのかもしれません。
夫婦はお互いに相手に助けを期待しながら、動いてしまう。
動き出せば、助けがなくても勢いがついてくる。
勢いがついてくれば、どんどん面白くなっていく。
私がいろいろと挑戦できたのは、節子の存在が大きかったのかもしれません。
まあにわかには信じられない気もしますが、間違いないでしょう。
人生にはおだて役と押さえ役が必要です。
伴侶の役割は、その両方かもしれません。
私がいまほしいのは、そうした「おだて役と押さえ役」です。
写真の節子では、それが十分にはできません。
「おだて役」も「押さえ役」もいない人生は、疲れます。
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